12人のカウンセラーが語る12の物語(6)

事例小説

 

 フロイトは、初期の著作である『ヒステリー研究』(1895)の中で次のように述べている。

 

 私は、これまでずっと精神療法だけに携わってきたわけではない。他の精神病理学者と同じく、私も局所診断や電気予後診断学の教育を受けてきた。にもかかわらず、私の書き記す病歴がまるで短編小説のように読みうること、そして、そこにはいわば厳粛な学問性という刻印が欠如していることに私自身、奇異な思いを抱いてしまう。

 

 また、フロイトは晩年のインタビューにこのように応えている。

 

 私は人には告白の効用を教えてきたけれども、自分自身は自らの魂をありのままに開陳できずにいた。…誰一人として私の仕事の本当の秘密を知る者はいないし、それを推し測る者すらいなかった。…皆は、私が自分の仕事を科学的なものと見なしていると思っている。また皆は、私の主な意図は精神疾患の治療にあると思っている。これはひどい誤解だ。この誤解は長年にわたって広まってきたが、私は今日に至るまでずっとそれを正すことができなかった。私はやむをえず科学者になったのであり、それが天職だったわけではない。実のところ、私の天性はアーティストなのだ。…私は医学の一分野である精神医学を文学に転換することを思い付いた。私は科学者の外見をまとっているけれども、詩人であり小説家であったのだし、今もそうだ。精神分析は文学的な仕事を心理学と病理学の言葉で演出したものに他ならない。…実際、私の本は、病理についての論文よりも、イマジネーションの作品によりよく似ている。……私は自分の運命を間接的なやり方で勝ち取ってきたのであり、夢を実現してきたのだ。その夢とは、なお医師の外見を保ちながらも、文学者であり続けることである。……科学的な専門用語(jargon)に置き換えられてはいるものの、精神分析においては、十九世紀の三つの偉大な文学の流れが融合しているのが分かるだろう。私にとっての古くからの師、ゲーテの助けによって、私の中で、ハイネ、ゾラ、マラルメが一体となっているのだ。

 

 カウンセリングの(現代的な)科学性と(フロイトの言う)芸術性を鑑みると、この12の事例物語の価値が、分かるかもしれない。

 

 

出典

杉原保史・高石恭子『12人のカウンセラーが語る12の物語』(ミネルヴァ書房, 2010)