心象風景 春の歌

 大晦日と元日に実家に帰らなかったら親から催促のメールが来たので、3日に帰省をしました。昔から住んでいた家を出て、中学校の裏あたりに引っ越したらしく、地図を見ながら実家を探しました。

 

 約1年ぶりに家族と再会しました。そして、多分10年ぶりぐらいに、両親と姉たちと僕と犬の家族6人が同じ部屋にいる状況になりました。なんだか、居心地が悪かったです。

 一番年下の僕がもう20歳。両親はもうすぐ還暦を迎え、姉は就職し、もうすっかり終盤の家族形態になってきたように感じました。この6人にとって、家族という言葉は特別な意味を持っています。今までに何度も、家族としていることさえできない状況になりました。その中で、暴力的で独りよがりな父もいくぶん丸くなり、母は相変わらず強く暖かく、なんとかちぐはぐな形で家族として、今年はこうして新年を迎えられたこと、6人ひとりひとりにとってそれぞれ思うところがあるのだと思います。

 紆余曲折あった道のりの中で6人を繋ぎとめてくれたのは、上の姉でした。特に最近の上の姉の精神面の成長は素晴らしいと思います。難しい父と妹を持ち、高校時代は父と本当に仲が悪かった上の姉ですが、最近はリビングで家族6人が集まった時に、積極的に父に話しかけていくのです。そのおかげで、リビングの緊迫が薄まり、家族に自然と笑みがこぼれます。最近は自らの趣味も追求し、人間として大きく、私を、そして私たち6人を包み込んでくれているように感じました。

 下の姉は相変わらず精神的に不安定な状態が続いています。カウンセリングを受けさせたほうが良いのかなと思うのですが、それはもう少し生活が落ち着いてきてからでもよいのかもしれません。今はただ、切れそうな数珠の糸を、上の姉や母が強く引きつけ繋ぎとめてくれている状態で、さしあたりはそれで様子を見たいと思いました。

 

 数時間してすぐ家を出て、小中の幼なじみたちと公園で野球をしました。久々に会う人もいれば、つい数日前に会った人もいました。それぞれが、それぞれに様々な経験を重ね、時に悩み苦しんでいると思うのですが、それを経て今こうして昔と同じように話をして笑いあえることが、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

 焼肉食べ放題をして、お酒を飲んで、私の実家で飲み直して、飲み過ぎていつの間にか寝てて、起きたら結構な時間だったけど、時間なんて全然気になりませんでした。そういえば昔は、時間なんて気にならなくて、どんなに暗くなろうと制服で駆け回っていたのだなぁと、ふと思い出しました。

 

 東京に帰ってきて、4時間ぐらい会議に出て、ふと農学部の先輩に悩みを聞いてもらって、久々に人に悩みを打ち明けたなぁと思いました。東京は冷たいと思っていたけれど、それは思い込みで、本当はずっと暖かいものだったのかもしれません。それなのに、ひとり不愉快になっていたのでしょう。それから、閉館まで図書館にこもったものの、やることが多くてほとんど終わりませんでした。

 

 妙に暖かい夜の道を駅まで歩いていると、不思議と心が暖かくなってきたのは、どうしてだろう。道の真ん中に立ち尽くして、瞳を閉じてみる。

 瞳を閉じると、そこはいつもオレンジ色だった。公園の片側に夕日が沈んでいく。雲が染まる。帰りたくない暗闇がやって来る。紙飛行機を飛ばしながら、あの夕暮れ空を見ていた。

 

 誰かが言った。冬の夕暮れは、妙に暖かくて、春が歌っているみたいだと。

 

 そう、僕たちは、あの頃から友達だった。