プレシオスの鎖
みんながめいめい
じぶんの神さまが
ほんとうの神さまだと
いうだろう
けれどもお互
ほかの神さまを
信ずる人たちの
したことでも
涙がこぼれるだろう
それから
ぼくたちの心が
いいとか
わるいとか
議論するだろう
そして勝負が
つかないだろう
けれども
もしおまえが
ほんとうに
勉強して
実験でちゃんと
ほんとうの考えとうその考えとを
分けてしまえば
その実験の方法さえ
きまれば
もう信仰も
化学と同じようになる
宮沢賢治は1924年に『銀河鉄道の夜』の執筆に着手し、1933年に37歳で病死するまで、彼はこの作品の推敲を続けました。その推敲の中で、彼は4つの稿を残しました。一般に、4つの稿うち一番最後に書かれたものが最終形と呼ばれ、それ以前に書かれた3つの稿が初期形と呼ばれています。よく知られているのは最終形のお話ですが、実は最終形と初期形でかなり話の内容が異なるのです。
冒頭で引用したのは、初期形第3次稿の『銀河鉄道の夜』の一節です。初期形第3次稿では、銀河鉄道の旅はブルカニロ博士の実験だったということになっています。博士は、ジョバンニの協力を得て、遠くから自分の考えを人に伝える実験をしていたのでした。ですから、さきほどのセリフは、実はすべてブルカニロ博士の考えなのです。そして、これは宮沢賢治自身の考えでもあるのかもしれません。
歴史を顧みれば、信仰の違いによって本当に残酷なことがたくさん行われてきたことが分かります。今だって、そのような惨禍が完全になくなったわけではありません。ただ、確実に少なくなりました。
それでは、信仰による争いが少なくなった現在、「ほんとうの考えとうその考え」を完全に分けることができているかと言われれば、そんなことはありません。
誰しも、価値観という名の「じぶんの神さま」を持っている。そして、それが「ほんとうの神さま」だと言う。それをもって、いいとかわるいとか議論する。そして、勝負がつかないだろう。
もっとも恐ろしい神さまは、無宗教の人に宿った、自分の「実験」が正しいと信じきるような価値観、つまりは自分の価値観以外の価値観を許容しえないような価値観なのかもしれないと、ふと思う午前4時なのでありました。
プレシオスの鎖は、解かれるのでしょうか。あらゆる人のいちばんの幸福を、ほんとうの幸を、ジョバンニは見つけられたのでしょうか。見つけられていたらいいな。