スウィングバイの教師論

 教師はどうあるべきか。私は教師という職をスウィングバイの惑星に例えることが多い。

 

 スウィングバイとは、惑星探査機などの宇宙機が、惑星の力を借りて軌道修正をしたり加速や減速をしたりする技術である。宇宙機が惑星の近傍を通過する時、惑星の重力によって宇宙機は加速し軌道を曲げられる。そして、宇宙機は加速しながら惑星に引き寄せられていくが、うまく衝突しないような角度で入射した場合、宇宙機は惑星の球体表面をなぞるようにトップスピードで通過していき、くの字を描くように減速しながら惑星から離れていく。つまり、加速しながらくの字の一辺を描き、惑星をなぞるようにトップスピードで曲がり、減速しながらくの字のもう一辺を描く。この際、惑星が宇宙機に近づく方向に公転していた場合、スウィングバイ前後で正味減速する。惑星が宇宙機から離れる方向に公転していた場合、スウィングバイ前後で正味加速する。

 

 惑星は教師で、宇宙機は生徒だと思い込んでみよう。教師とは、ゆっくりと飛んできた生徒を加速し、トップスピードの二度とない青春を体験させてあげるものだと思う。目まぐるしく過ぎていく日々が、生徒の心に強く刻まれる。その思い出は、生徒が社会に出て絶望して、闇に飲み込まれてしまいそうになった時に、暗い夜空に輝く小さな星のように、闇の中で彼らの道しるべとなる。

 ここで重要なことは、教師は生徒に衝突されないことだ。教師は、生徒より上の存在としてあるべきであって、生徒に翻弄されることで教師が成長するような戸村先生の例はあるものの、本来教師は生徒に衝突されて変化すべきではない。教師はどんと構えていて、生徒が飛んできたらその横にひょいと移動して、横目でにやっと笑って彼らをトップスピードで曲げていく。教師は本来そうあるべきだ。これは逃げではない。教師は強く自分というものを持っていて、生徒全員を同時に新しい軌道へと導く必要がある。衝突を避けつつ、横目で彼らを曲げていくのだ。幸い、惑星は球体であるから、どんな生徒とも正面から向き合うことができる。目まぐるしい速度で曲がっていく彼らに、正面から向き合う時、教師は彼らの今後を大きく変えることになる。

 生徒は教師の近くを曲がり終わり、だんだんと教師から離れていく。新しい進行方向に、広大な暗黒の宇宙に放り出される。彼らは減速をしていく。後ろ髪を引かれる思いがする。別れ際に、教師は生徒から意図的に離れることで彼らを加速させることができるし、近づくことで彼らを減速させることもできる。

 加速して送り出してあげよう。それが教師の仕事だと思う。ひとりひとりが、このトップスピードで駆け抜けた青春を、決して忘れることはないから、送り出してあげよう。

 そしてまた、新たな生徒が飛んでくる。目まぐるしい日々が、再び始まる。その中に、見たことのある宇宙機があった。いつか自分がスウィングバイをさせた宇宙機が、もう一度帰ってきたのだ。生徒にとって、教師はいつまでも教師だ。何度だって、彼らを曲げて加速してあげよう。

 

 遠い宇宙で輝き、時々帰ってくる彼らを見ることが、その大きな惑星の生きがいなのであった。