戸村先生の涙

 NNNドキュメント‘06「子供たちの心が見えない~教師17年目の苦悩~」(2006年7月30日NTV放送)で紹介された、小学校6年生の学級崩壊について考察をする。

 

 私がこの事例に関心を持った理由は3つある。ひとつは、学級経営の難しさを教えてくれたから。ひとつは、学級崩壊の原因をいくつか示唆してくれたから。もうひとつは、教師という人間のあり方を考えるきっかけを与えてくれたから、である。

 

 まず、学級経営の難しさについて考えてみる。

 この映像を初めて見た時、「担任の戸村先生は大変そうだなぁ」というのが、率直な感想だった。生徒は「キモい」「死ね」などの言葉を、ためらいもなく戸村先生に浴びせる。休み時間が終わっても、教室に戻ってこない生徒がいる。授業中におしゃべりがやむことはない。整列ができない。授業が成立しない。このような状況の下でうまく学級経営をしていくのは、とても大変なことであると、私は感じた。

 自分が小学生だった頃を思い出してみると、先生はみんなに優しくて、時に怖くて、とにかく自分より大きくて、ぐいぐいと私たちを引っ張っていってくれる圧倒的な存在だった。たまに暴力やいじめの問題が生じたが、先生は真剣に向き合い、きちんと叱ってくれたので、すぐに解決をした。やっていることは、ほとんど戸村先生も同じだ。しかし、学級の様子は、私の小学校とはかけ離れている。どうしてだろうか。

 言葉にするのは難しいが、私の小学校時代の学級と戸村先生の学級では、教室の雰囲気がそもそも違う。学級は、30人程度の生徒と1人の教師が創り上げる集団だ。そこで生徒たちが発揮する力は大きい。私が小学生だった時は教師がすごく大きな力を持っていると感じていたが、実は、教師が学級を支配しているのではなく、学級の大部分を生徒が支配しているのだと、今になって私は思う。私は、よく高等学校を訪問し、教室で授業のようなことをしているが、授業の最初にその教室に入った時に生徒たちが醸し出す雰囲気は、学級によって本当に違う。教師は、その生徒たちに内在する力と、彼ら全体としての雰囲気の前に、何をすることができるだろうか。しかも、その生徒全体の雰囲気というのは、色んな生徒の雰囲気がごちゃまぜになったものなのだ。静かな生徒がいれば、騒がしい生徒もいる。そのように様々に圧倒的な雰囲気を押し出してくる生徒たちに対して、教師は何をすることができるのだろう。どのように教室の空気を創ることができるだろうか。戸村先生の苦悩を目の当たりにして、このような疑問が浮かんだ。学級における教師の無力さを実感した。

 その疑問について考えていく中で、この「生徒全体が押し出してくるごちゃまぜな雰囲気」と「学級崩壊」は紙一重であると、私は思った。つまり、国立教育研究所・学級経営研究所の「学級がうまく機能しない状況」の定義の中にある「集団教育という学校の機能が成立しない」状態というものは、生徒たちの持つ性格や価値観が対立し合い、ひとつとしてまとまらない状態なのだと考えた。私の小学校は公立だったので、生徒の個性がなかったというわけではない。しかし、それがたまたまうまく対立せず噛み合ってひとつの雰囲気になっていって、戸村先生のクラスはそうでなかっただけだ。それだけの、紙一重の違いが、学級崩壊を引き起こす。

 教室で教師は何をすることができるのだろうか。それは、生徒たち全員の雰囲気を受け取り、細かいところからひとつひとつ歯車が噛み合うように微調整していくことなのではないか、と私は考えた。全部、教師の思うとおりにはならない。生徒たちひとりひとりを、生徒たち全体の雰囲気を大切にしながら、少しずつ彼ら同士の関係、彼らと教師の関係を調整していくことが、教師のできることなのではないだろうか。

 

 次に、学級崩壊の原因について考えてみる。

 抽象的に言えば、先ほど述べた噛み合わない雰囲気というものが学級崩壊の主な原因になっているのだと思われるが、もっと詳しく戸村先生の学級が崩壊してしまった理由を見ていきたい。

 生徒たちが戸村先生に大きく反抗していた原因としては、発達加速現象により、子供たちの思春期の訪れが低年齢化したことが大きい。この現象により、小学6年生でも第二次性徴を迎える生徒は少なくない。そして、第二反抗期が訪れ、多くの生徒が戸村先生に反抗するようになっていたのではないだろうか。

 第二反抗期には、子供の自立心は強まり、大人への反抗をすることが多い。それは、子供がそれまでの自分の世界を見つめなおし、それまでの自分の世界を「くずす」ことで、新しい自立した自分を「つくる」試みである。今までの自分は親や教師などの大人に縛られていて、大人たちから押し付けられた世界の中で生きているような感覚を、第二次反抗期の子供たちは持っている。その世界は、成長するにつれてだんだんと生きにくいものとなっていく。そのような思いの中で、何とか自分とその世界を変えるために、その世界を押し付けてきた大人たちとの関係を揺さぶってみる。そうして、大人たちとの関係を壊せば、今までの世界、ひいては今までの自分も壊すことができるのではないか。今までの世界とは決別して、誰にも支配されない新しい世界を創ることができるのではないか。新しい自分を創ることができるのではないか。そのように考え、生徒は大人への反抗を繰り返す。

 戸村先生は、そのような生徒たちを相手にしていたのだろう。そして、戸村先生は叱りつけることで、彼らをまとめようとした。生徒たちにとって、戸村先生は大人たちの代表者であると同時に、自分たちを縛り上げている存在であり、真っ先に反抗の対象となるのは自然だった。子供の生活の中で、身近にいる大人と言えば、親を除けば教師のみの場合が多いからである。しかし、叱りつけるだけでは、何の解決にもならない。生徒たちは、自分を縛り上げる大人に反抗しているのであって、叱ることで解決するものはあまりない。

 この時期の生徒たちに対して、叱りすぎはよくないと私は考えた。彼らを包み込み、共に生きていくような態度が、教師に求められるのではないかと思う。その過程で、教師用RCRTを用いて、教師が様々な観点をもって生徒を認めることができるようになる必要も出てくると、私は考えた。

 もうひとつ学級崩壊の原因になっていると私が考えたのが、生徒たちの家庭環境だ。保護者会の映像を見ると、親は自分の子供のことを悪く言うことはなく、すべて先生に責任があるというような物言いをしていた。そのような親たちにも、学級崩壊の原因はあるのだと思う。教育は学校で完結するものではなく、家庭で親がある程度の教育をすることが期待されている。特に、一般的な社会のルールに関しては、家庭で日常的に守られている場合、学校でも守られることが多い。逆もしかりである。

 客観的に戸村先生のクラスを見ると、必ずしも戸村先生の振る舞いが悪いようには見えない。どこにでもいる普通の先生だという印象を、私は受けた。それを「子供がこんなことを言っているから」という前置句をつけて、すべて戸村先生の責任だと断言する親たちの姿は、教育を学校に任せっきりにしていることと、自分の子供に正面から向き合っていないことを示唆している。これらのことを親が意識していないと、子供たちが生活の中で身につけるべきルールを知らず、教師の負担は大きくなり、時に学級崩壊を引き起こすのだろうと、私は考えた。

 

 最後に、教師という人間のあり方について考えてみたいと思う。

 私は、戸村先生が学級崩壊で苦難し、それを乗り越えようとする姿に、教師とはどうあるべきなのだろうということを、強く考えさせられた。戸村先生は、教師生活17年目で、様々な生徒と関わってきた。そして、今年度初めて学級崩壊を体験し、生徒たちを叱りつけても無視をされまったく改善せず、保護者会で親たちに辞めてほしいと言われ、体調を崩し、体重はかなり減った。自分なりに頑張っているのに、何も改善しない学級。その中で、自分が生徒を叱りつけるばかりになってしまい、「生徒と楽しむ」という視点を忘れてしまっていることに気がつく。そこから、戸村先生は叱るより笑うということを意識し、自分の教師としての指導法を根本から変えようと努力した。そして、教室の雰囲気は変わり始めた。

 小学校でこのような、教師自身の変化が必要な例は珍しいかもしれないが、中学校や高等学校の教師については、このようなこともかなり多いと思う。というのも、学年が高くなるにつれて、生徒は「ひとりの大人」として、教師に迫ってくるからである。それ以外にも、生徒たちと関わっていく中で、今回のように「怖い先生」が「優しい先生」に変わるようなことが求められることがある。

 教師は、多くの人間と接する難しい職業であると、私は思う。事務仕事はやり方を覚えれば誰にだってできるが、教師はそうではない。学級経営を進めていく中で、生徒たち全員のことを受け止め、ひとつの学級としてまとめていかなければならない。多感な時期の生徒たちひとりひとりのことを受け止める時、教師はたくさんの苦悩を経験すると思う。その中で、上で見たように教師自身の変化が必要なこともあり、それはとても大変な作業となるに違いない。そして、生徒ひとりひとりをまとめて、ひとつの学級を創り上げる大変さも、戸村先生の姿を見ていて感じた。色んな生徒がいて、それぞれ性格や価値観が異なっていて、さらにはそれぞれが多感で、そんな生徒たちがひとつの教室で集団として存在することをサポートする教師の役割の難しさは、この上ない。その大変さに翻弄され、戸村先生の前任の先生は体調を崩し、戸村先生も体重がかなり落ちた。

 それなのに、そんなに大変な職業なのに、どうして教師になりたがる人がいるのだろうか。

 私も、将来教師になりたいと考えている。私はあの教室の暖かい雰囲気が大好きで、静かな生徒も騒がしい生徒も、どんな生徒もいてよい居場所としての教室が大好きだ。そして、その教室の中で様々なバックグラウンドを持った生徒たちが様々な問題を起こすのだけど、それらの問題のひとつひとつを乗り越えて生徒たちが何かしらを学び、そしてその生徒たちの長い人生の中で役に立ったり、つらい時に思い出すと元気になれるような素敵な思い出になったりしたのならば、私はこれ以上ない教師としての喜びを感じるだろう。

 だから、戸村先生も生徒たちも色々苦労したと思うのだけど、それが生徒にとって、戸村先生にとっても、何かしらの学びになったり、素敵な思い出になったりして、卒業の日を迎えたのならば、集団教育の血の通ったメリット(集団として生きる中で、人間関係について学んだり、心に残る思いをすること)がきちんと機能しているので、戸村先生の学級はとてもよい学級だったのではないだろうか。

 その証拠に、卒業文集に「戸村先生みたいな先生になりたい」と書いた生徒がいたこと、そして、その文章を見た戸村先生の照れくさそうな笑みと涙を、私は挙げることができる。

 

 

 

参考文献