学校の壁の残骸を拾う

 「新しい学力観」や「生きる力」という言葉が頻繁に聞かれるような時代であるが、教育改革について議論する前に、日本社会における高等学校というものの役割がどのように変容してきたかということを、少し振り返ってみようと思う。

 

 

学校の壁の残骸を拾う

 まず、社会における高等学校の役割の変容がどのように起きたかを把握するために、1980年ごろと2000年ごろの高等学校の状況の違いを列挙する。1980年ごろは、ツッパリと呼ばれるような学校に反発する生徒が多く、制服を着ると学校に縛られているように思えるので、生徒はあまり制服を着たがらなかった。また、学校内は社会から遮蔽された特別な空間であると認識されていて、怖い先生が生徒に規則を守るように厳しく呼びかけるというように、学校の力は強かった。一方、2000年ごろは、ギャルと呼ばれるような学校に反発するというよりも街へと飛び出すような生徒が多く、制服は街に飛び出す際のおしゃれとして楽しまれていた。また、学校は社会と完全に遮蔽されている訳ではなくなり、学校の力は弱くなっていた。

 

 このような学校の変容は、どのような理由で生じたのか。その主な原因として、社会の変化が挙げられる。

 1970年代、日本経済は安定しており、新規学卒を一括採用し終身雇用をするような雇用慣行(日本型雇用慣行)が成立していた。そのような社会の中で、就職の前段階としての高等学校の重要性は高まり、1974年度には高等学校進学率が90%を超え、学歴が将来に大きく影響を及ぼすような社会へと変化した。この時期、ほとんどの高等学校が、生徒を学業成績に基づいて直接的に企業へと振り分ける就職斡旋制度を有していたために、学校の学業成績が直接将来に関係するという状況があり、学校の力は強かった。また、学校は管理教育を推し進め、社会から遮蔽された空間としての学校作りをして、生徒に学校での規則を厳しく守らせつつ教育を行った。これも、学校の力が強かったことの一因である。学校の力が大きく、学校が社会と断絶された遮蔽空間であったため、生徒の中には学校に反発する者もいた。彼らは「学校に縛られている」という感情を抱き、それを脱したいがために、学校に反抗したり、私服で街に飛び出して自由に社会を楽しもうとしたりした。

 1980年から2000年にかけて、社会構造は大きく変化していった。1970年代から1980年代にかけて良好だった経済の状況が、バブル崩壊をきっかけにして悪化し、景気が後退した。その影響で、雇用が減少し、日本型雇用慣習は崩壊し、高等学校の学業成績による生徒の就職斡旋制度を維持することが難しくなっていった。こうして、高等学校に行っても必ず将来が保障される訳ではなくなり、学校の力は弱くなった。また、ちょうどこの時期に、教育界では「自己実現・個性重視」をスローガンとする教育改革が起こった。就職斡旋制度では生徒のやりたいことを無視してしまっていたが、やりたいことをやることが生徒にとっての一番の幸せなのではないか、という意見が多く、進路選択に関して生徒のやりたいことを重視する「生徒支援型」の高等学校が増えた。その中で、自分の進みたい進路を生徒が考えることができるようになるためには、生徒の自己肯定感を育むことや生徒が自分の良さに気づくことが必要であるという考えが生じ、学校に生徒の居場所を作ってあげようという抱擁的な学校方針が掲げられた。このような背景により、制服はもはや管理教育のツールとしては利用されなくなり、むしろ最近はかわいい(かっこいい)制服を売りにして生徒を呼び込もうとする高等学校まで現れた。

 1980年ごろの高等学校の就職斡旋制度は、優秀な人材を毎年一定数得ることができる企業にとっては良い制度であったのかもしれないが、生徒のことを考えるとあまり良い制度ではない。生徒に将来やりたいことがあるのならば、それをやらせてあげたほうが、その生徒は無理をせず楽しみながら生きることができる。ゆえに、生徒の1980年ごろの高等学校の教育より2000年の高等学校の教育のほうが、教育方針的に良い。では、2000年以降現在まで続いている生徒支援型の高等学校教育に問題はないだろうか。私はここで、現行の生徒支援型教育の問題点をいくつか挙げたい。

 

 生徒支援型教育の一番大きな問題点として、自分のやりたいことが見つからない生徒が増加していることが挙げられる。ベネッセ教育総合研究所の第2回子ども生活実態基本調査報告書は、2009年の調査において、高校生男子の54.0%、高校生女子の39.3%が「なりたい職業がない」と回答した、と報告した。同報告書によると、「なりたい職業がない」と回答した生徒の割合は、2004年の調査時より男女それぞれ15%程度増加している。生徒支援型教育の方針が掲げられてから20年程経過した2009年の時点で、生徒支援型教育でもっとも重要な「自分のやりたいこと」というものを、ほぼ半数の生徒は見つけられていない。これは、生徒支援型教育の「自己実現」というスローガンをあまり達成できていないということではないか。

 確かに、生徒が自分のやりたいことを見つけるのは、難しいことである。将来の自分を想像することは難しいし、将来やりたいことなんて大学に行ってから決めればいいや、という思いで4年制大学に進学する生徒もいるだろう(同報告書によると、2009年調査時において「なりたい職業がない」と答えた高校生のうち、73.1%が「4年制大学または大学院への進学を希望する」と回答している)。しかも、進路指導において、教師が無理やり生徒に結論を出させるわけにはいかない。生徒自身が自分について、自分の将来について考えなければならない。教師ができることは、生徒が自分自身について知るきっかけを作ってあげることや、たくさんの進路の選択肢を示してあげること、教師自身も含めた様々な人の進路選択の実例を話して聞かせてあげることなどである。どれも、生徒の進路決定に直結することではないが、重要なことである。現状、このような進路指導は、きちんとなされているだろうか。

 私が高校生だったのはもう3年も前のことであるが、私の出身高校では、総合的な学習の時間の中で進路について考えるような時間をとっていた。しかし、私を含むほとんどの生徒が、きちんと進路について考えないまま、大学受験を勧められ、大学受験をした。これは、生徒支援型の進路指導と言えるだろうか。現在の進路指導の傾向として、4年制大学の受験を重視する傾向があると、私は感じている。文部科学省の平成26年度学校基本調査(確定値)によると、平成26年度高等学校卒業者の大学進学率は53.8%である。この値は年々増加している。また、ほとんどの生徒が大学に進学するような、いわゆる進学校が日本にはたくさん存在する。進学校の生徒は、自分の意思をもって大学に行きたい、大学に行って何かをしたいと考えているのだろうか。進学校の教師は、大学進学をどうして勧めるのかを生徒に話しているのだろうか。彼らは、私が先ほど述べたような生徒支援型の進路指導を行っているのだろうか。私は、懐疑せざるを得ない。
就職斡旋制度によって生徒の個性や進路選択の自由が失われることを避けるために生徒支援型の教育に移行しようという目標を立てたにもかかわらず、蓋を開けてみれば、就職斡旋が受験競争にすり替わっただけで、現在も生徒支援型の教育はほとんど実現されていないのではないか、と私は考える。大学に進学するのが当たり前だから大学に進学しよう、将来やりたいことが見つからないけど大学で考えればいいや、というのは、進路選択の先延ばしでしかないのではないか。生徒支援型の高等学校の実現は、大学受験という思わぬ障害物によって行く手を阻まれているのが現状である。

 

 生徒支援型教育のもうひとつの問題点として、学校で勉強をする意味は何か、という問題が挙げられる。生徒がもし、高等学校で勉強することにまったく関係のないことに興味を持っていて、その道に進みたいと考えていたとすると、その生徒にとって、高等学校で勉強をする意味はあるのだろうか。
 日本テレビが制作したドラマ「女王の教室」にて、小学校教師の阿久津真矢は、担任をしているクラスの児童たちに、勉強する意味を説く場面がある。真矢のクラスの児童が真矢に次のような質問をする。
 「どうして勉強するんですか、私達。この前先生は言いましたよね。いくら勉強して、いい大学やいい会社に入ったって、そんなの何の意味もないって。じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」
 その質問に対して、真矢は次のように答える。
 「いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?勉強は、しなきゃいけないものではありません。したい、と思うものです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから、人間なんです。好奇心や、探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。自分達の生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何が出来ると言うんですか?いくら勉強したって、生きている限り、分からないことはいっぱいあります。世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、あんなもの嘘っぱちです。いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えば、いくらでも出来るんです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。勉強は、受験の為にするのではありません。立派な大人になる為にするんです。」

 例えば、あるスポーツが大好きで将来そのスポーツの道に進もうと心を決めている子も、高等学校の必履修科目として世界史や数学を学ばなければならないが、その勉強の意味はあまりないのではないか、と正直私は以前まで感じてしまっていた。生徒支援型教育を推し進めていく中で、生徒がやりたいことを見つけてくれるのは喜ばしいことだが、その生徒が将来やりたいことに、学校での勉強が役に立つとは限らない。では、なぜ学校では主要五科目と呼ばれる科目群が教えられるのだろうか。なぜ、生徒はこのような科目群を勉強しなければならないのだろうか。
この問いには、いくつも答えが存在するのであろう。女王の教室での真矢の発言も、この問いの答えのひとつである。私も、この問いを高校の頃からずっと自分なりに考えていて、最近ようやくひとつの答えにたどり着いた。その答えとは、次のようなものである。

 まず、高等学校の勉強のコンテンツ自体には、あまり意味はない。つまり、古典や物理の内容を学んでも、ほとんどの人は学んだきりで、研究者にならない限り、将来どこかでその内容が役に立つことはほとんどない。重要なのは、もっとメタレベルな、すべての科目に共通している「勉強するという方法」であると、私は思う。どの科目でも、問題が出題されて、その問題が解けなかったら、解けない原因がある。その解けない原因を突き止め、それを改善することで、次に同じような問題が出題された時には、きちんと解くことができるようにする。それが勉強というものであり、どの科目でもそれは共通である。このように、メタレベルで見ると、勉強とは問題解決の繰り返しのことではないか、と私は思う。つまり、古典や物理を勉強することは、問題解決能力をつけることに役立っている。そして、問題解決能力は、高等学校を卒業して、様々な局面で何かしらの問題が発生した時に役に立つ。だから、高等学校では、主要五科目を勉強するのではないか。

 私の見出した答えも、真矢が見出した答えも、どれも正解でいい。ここで重要なことは、生徒支援型教育を推し進めると「勉強ってなんのためにするの?」という疑問を抱く生徒が増えること、そして、そのような生徒が、その答えを自分で見出そうとすることである。もし、学校の勉強に意味がないと生徒が判断したならば、それでもいいじゃないと私は思う。生徒が将来や現状について必死に考えて出した結論ならば、それもひとつの答えなのだろう。とにもかくにも、生徒が自らの現状や将来について真剣に考え始めた時、生徒支援型教育の歯車は回り始める。

 

 生徒支援型教育には、以上のふたつの問題点がある。先述の問題点によって、そもそも現在日本の高等学校で生徒支援型教育を実現しようとしている学校は少ないのではないか、そして、後述の問題点によって、実際に生徒支援型教育を実現しようとすると、勉強をする意味という難しい問題に衝突するのではないか、ということを私は考察した。上で述べたふたつの問題点を解決することは容易ではないが、必ず解決できるものであるし、解決すべきものだ、と私は思う。(これらの問題点を解決するためには、大学を卒業してから就職をするという現在一般的な雇用制度の廃止や、学習指導要綱の変更、体験型・横断型カリキュラムの導入など、大きな教育改革が必要である。)

 

 特殊空間として遮蔽されていた高等学校の壁は、いまや崩れ去った。就職斡旋の壁の抑圧から、高等学校は解き放たれた。しかし、現在、その壁の残骸が、日本の高等学校を覆っている。就職斡旋の亡霊としての大学受験が、高等学校の周りには立ちはだかっている。その残骸を拾い集めることは、これからの教育を担う私たちの役目である。

 

参考文献