学生同士の支えあい

 先日、いくつかの研修を終え、現在通っている大学の正規ピアサポーターとして認定をしていただきました。ピアサポートというのは、同等な立場の者(ピア)同士が、互いに支援(サポート)をし合う、という活動です。海外には、ピアサポート活動を行っている初等・中等教育機関は多く存在しますが、それに比べて日本のピアサポート活動の数は少ない状況にあります。また、大学のような高等教育機関におけるピアサポートの例は、世界的に見ても少ないのです。

 

 そのような状況の中で、私の通っている大学がピアサポート活動を行う意味とはなんでしょう。

 

 日本の大学生という身分は、すごく特殊な状態であると、私は思います。アメリカの心理学者であるエリク・H・エリクソンは、自身が提唱したライフサイクル論という理論の中で、人生の中には、アイデンティティ(自分とは何者であり、何をなすべきなのかという心の中の考え)を確立するための青年期という時期が存在する、としています。日本における大学生という身分は、ほとんどの場合青年期に位置していて、大学での研究や将来の就職を見据えた活動によって、自分というものを探求する存在であるのです。ですので、大学生に悩みが多くあるのは当然のことなのです。

 さらに、時代の変化によって、状況は大きく困難な方向へと向かいつつあります。地域社会の崩壊や核家族化、SNSの過度な使用は、支え合いのネットワークを希薄にし、支え合いによって様々な問題を予防し解決することができなくなりつつあります。それに反するように、大学生のサークル加入率は増加しています。大学という人とのつながりが希薄になりがちな機関において、サークルに加入して友達を作りたくなるのは、当然の想いではないでしょうか。現在、過去には数が少なかった自傷行為やひきこもり、精神疾患という問題の数が急増していますが、支え合いのネットワークによって、それらの問題を解決することができるのではないか、と私は考えています。

 時代の変化は、大学生だけでなく小中学生や高校生にもに大きく影響を与えていますが、一方で、大学生特有の問題というものも多くあります。大学入学直後には、高校と大学のシステムの違いにとまどいを覚えたり、一人暮らしなどの新しい生活環境になかなか慣れなかったり、今までの人間関係と切り離されて孤独を感じたりするでしょう。サークル探しに失敗した、最初でつまづいてしまったので大学生活4年間ずっとひとりぼっちでつまらなかった、というような話をよく聞きますが、やはり入学直後というのは、一番つまづきやすい時期であるのでしょう。さらに、東京大学の場合は、進学振り分け制度によって、3年生から新しい学部に所属し、新しいキャンパスと新しい集団の中で、より専門的なことを学ぶことになっていますが、これは「第二の入学」とも言えるでしょう。つまり、この時期にもつまづきやすいということなのです。そして、4年生になると、いよいよ就職や研究のことを考えなければならなくなり、学生生活の終了・社会生活の開始を強く意識しなければならなくなります。大学院に行く道を選んだ方は、研究についての悩みや、研究者としての将来についての悩みが多くなるでしょう。

 

 大学生はまさに、悩ましき存在なのですね。

 

 ところで、ピアサポートの研修の中で強く感じたことが2つあります。

 

 ひとつは、は対人コミュニケーションってすごい難しいなぁということです。最近、「コミュ障」という言葉をよく聞きますが、コミュニケーションが苦手な人が、世代を問わず増えていると言われています。でも、時代がどうとかそういうことではなく、そもそもいつの時代においてもコミュニケーションって難しいなって、研修の途中で思ったんです。人間は、言葉や動作でしか、他人に何かを伝えることができません。言語には決まった文法があり、単語には決まった意味がありますが、自分の伝えたいことがあって、それを頑張って言葉にしたとしても、その伝えたかったことが正しく相手に伝わるとは限らないのです。その言葉の言い方、その時の態度、状況、諸々の事情を含めて、相手はその言葉を噛み砕き、理解します。ですので、色々な事情を踏まえて、言葉を選んだり、時には伝えることをやめたりしなければなりません。それを瞬時にやることって、実は難しいことなんじゃないかなぁ。FELORモデルがどうとか、色々な理論もあったりしますが、実感として、考えれば考えるほどコミュニケーションって難しいなぁと思いました。

 

 ふたつめは、人生計画って結構重要なことなのに、それを具体的に学校で教えたり、公に誰かがアドバイスしてくれることって少ないなってことです。中学校の時、家庭科で「こんな大学に行ってこんなことをして、こんな会社に就職して、何歳で結婚して、子供を何人生んで、老後は何します」みたいな計画を立てろって言われた時は、こんなあほらしいことをして何になるんだろうって思ってたけど、実はそれって超重要な授業だったのではないか、とこの歳になった今では思います。無宗教の身としては、自分が生まれた意味なんて、外部から特に与えられていないんだろうなと思います。つまり、生まれながらにして、自分にはこういう使命があるだとか、そういうことはないと思うんです。どうして人間やその他の生命が繁殖したがるのか、繁殖したがるようになったのかは、科学できちんと解明されているわけではありません。ただ今の人間たちは、知らず知らずにわいてくる性欲や母性・父性に従い、子供を生み育てているだけだし、世界はそのよく分からない欲に従って、いくつもの時代を作ってきたように、私には見えます。自分も、自分の親も、自分の友人も、みんなみんな、このよく分からない時代の循環の中で、よく分からない機動力によって、ひとつの時代を作り、そして死んでいくんだと思います。そう考えると、目標が見つからないとか、将来どうしようとか、そんな風な悩みは、かなり自然な悩みなのではないでしょうか。まっさらな状態では人生に意味や目標は存在しなくて、でも生きるためには目標や夢が欲しくて、でも夢ってどう決めたらいいんだろう。受験ブームもさることながら、最近は新しい学力観の流れを受けてか、キャリア教育もはやってきていますが、受験や就職などのいわば人生の要所要所において、ほとんどの場合に将来何をしたいかということについて考えなければならなくなると思います。それを考えることは、とても難しいです。ですが、本当に自由に決めてしまっていいんじゃないでしょうか。だって、決まりなんて誰も作ってやしないんだから。ぱっとやりたいなって思ったこととかをさしあたりの目標にするみたいな感じでもいいんじゃないかなぁ。ただひとつ、よくないことは、それを考えることを放棄することではないでしょうか。目標なしに生きていくのは、とても難しいことです。自殺をする多くの人は、目標が見つからなかったり、目標があったとしても霞んで見えなくなってしまっていると言われています。将来とか、目標とか、そんな風な問題って、人間が存在する限り戦い続ける人間の本質的な問題だ、と私は思っています。本当に手ごわい相手ですね。

 ちなみに私が生きてる理由というか、人生の目標みたいなものは、一応ですがあります。私の目標は、時代の循環を作ること。さきほども言ったように、時代は循環し、それぞれの時代を生きる人々がそれぞれの時代をつくり、ある文化は受け継がれ、ある文化は廃れ、新しい文化が創造される……そんな風に時代は回っています。人間はせいぜい100年ちょいしか生きられないので、死にそうな大人は若い人に何か残してあげたほうがいいですよね。100年でできることって限られてますし、過去の人々が自らの100年を使ってあげてくれた成果を使わないはずはないです。過去の蓄積を使ったほうがどんどん人類は新しい一歩を踏み出せそうな感じがします。なので、私は未来を生きる人たちに小さくてもいいから何かしらを残したいと思っています。それが、教育の形をとるのか、情報技術の形をとるのか、まだ分かりませんが、そのどちらの形をとるかは、私の中では大して問題ではありません。私は、別に進歩主義者でも、献身的ないい人って訳でもないですけど、なんかそうしたいなって思ったんです。自分は自分で、今まで通りのろのろやりたいことをやって生きていく予定ですが、それにもまして他人の幸せを大切にしたいなという気持ちが最近大きくなっています。最近、年齢問わず身の回りの人がみんな娘や息子に見えて仕方がないような気持ちであふれていて、そんなかわいらしい娘や息子たちが笑っている姿を見るのが、自分の一番の幸せなんじゃないかなぁと気づき始めました。

 

 とにもかくにも、私たちが生きる現在の社会には、人間をめぐる、大きな問題があり、小さな問題もありますが、そのような様々な問題について、真剣に議論できるピアサポートルームの面々は、すごく魅力的だと感じています。これからの活動を通じて、できるだけたくさんの、楽しいとか嬉しいといった感情を、数え上げていけたらいいなぁ。