12人のカウンセラーが語る12の物語(5)

いのちのバトン

 

 大学の学生相談室では、基本的にひとりの学生に対して同じカウンセラーが継続してカウンセリングを行うが、カウンセラーの人事移動によって担当を継続できなくなることがある。半年間の休学の末に今年度二度目の四年生となった彼女も、担当のカウンセラーが次々と変わっていたようで、杉江さんで四人目のカウンセラーだった。

 

 彼女は、言葉数が少なく、ぽつりぽつりと、自分の悩みを打ち明けた。

 

 「何か、先が見えないというか。どういう風に生きていったらよいのかわからないし。何か死んだ方がましだというのがあって、どちらかというと死んだ方がましだという思いが強くて・・・」

 

 彼女は、高校卒業後に三年間フリーターをしてから今の大学に入学した。だから、年齢のことで、就職はうまくいかないと彼女は思っている。進学も考えたようだが、研究者として自分がうまくやっていけるわけはないと、彼女は半分諦めている。杉江さんが学部のことについて尋ねると、今学んでいることが、本当にやりたいことかどうかが分からないと言う。また、金銭的に余裕がないようで、彼女は毎日早朝に新聞配達をしているらしく、心身共に疲れきっている状況だった。そして、人間が怖い、人間と関わるのが嫌だと、彼女は感じていた。杉江さんは、カウンセリングの最後に毎回「一緒に生きよう」という言葉をかけた。

 

 しかし、杉江さんの海外出張により、週一回で定期的に行っていたカウンセリングが一回分あいてしまうようになったとき、彼女は自殺未遂をした。杉江さんは、危機的な状況にある学生に関わっているときには、次に会うときまでちゃんと生きていてほしいと思いながら、一日一日を過ごしている。杉江さんの実生活の中で、面接時に語られた彼女のイメージが浮かんできて、彼女は今こんな思いをしながらいるのかなぁと時折思うことがあるそうだ。このような関係が、彼女をこちらの世界にとどめているのではないかと、杉江さんは思う。彼女のどうしようもない苦しさを共有しながら一緒に時を刻むことが、カウンセラーができる、そしてやるべき行為なのではないだろうか。

 

 彼女は、苦しみつつも、日々の生活に楽しさを見出して、就職をした。四人のカウンセラーが繋いだいのちのバトンを、杉江さんは彼女自身に託した。

 

 「君は君が思うほどダメじゃないんだから・・・」

 

 想うことで、心は繋がる。人間関係は、そういうものなのかもしれないと、私は感じた。カウンセリングにおいて重要な「苦しみの共有」という行為は、カウンセラーの実生活にも影響を及ぼしてくることがしばしばあるが、杉江さんはそれをごく自然に、それでもってとても重く、受け止めている。そんな生き方もありだと、私は思う。

 

 

夕暮れ

 

 博士二年の彼は、秋の暮れに道又さんのもとを訪れた。彼は、この時期まで論文を一本も投稿できていないことに対して、つらさを感じていた。また、夕暮れを恐れ、夕暮れを見ると涙が出て、人生が終わってしまうような気がすると言う。

 

 カウンセリングを進めていく中で、彼は失恋を経験するが、自分の意見を研究室の教授にうまく伝えることに成功して、そこからどんどん自信をつけていく。そして、ついには二本の論文と博士論文を書き上げ、卒業までこぎつけた。彼は、いつの間にか、夕暮れの美しさに感動できる心を取り戻していた。

 

 この物語の裏には、もうひとつの話が存在する。この大学のとある学生が、亡くなるのだ。その学生は、道又さんのかつてのクライエントで、長期のカウンセリングの後に病院に入ることになったが、その学生はその病院で自殺をした。道又さんは感じた。病院に入ることが決まったから、自分の役割は終わったのだと勘違いしていたのではないか。しかし、病院に入るといよいよ精神状態が不安になるに決まっている。その学生が危険な時期に入ったことを、自分はきちんと意識していたのだろうか。道又さんは、クライエントの来室の重みを感じた。相談室の扉を出れば、クライエントには苦しい世界が待っている。それを、忘れてはいけない。絶対に、次も生きて来室してほしい。そんな思いが、博士二年の彼のカウンセリングを、よい方向に導いたのかもしれない。

 

 色のない世界から、色のある世界へ。秋、紅葉、雲、空。相談室の扉を開けたら、そこが色のある世界になっているように、働きかけることが、カウンセラーのやるべきことなのかなと、私は感じた。

 

 

折れた向日葵

 

 彼女は、大学二年の秋に、安住さんのいる学生相談室にやって来た。ずっと首を左に傾けているので、安住さんは「うなだれた向日葵」のようだという第一印象を受けた。彼女は、勉強のやる気が出ないということで相談に来ていた。

 

 話を聴いていくと、彼女には色々あったようだった。彼女の母は教育熱心で、彼女の大学受験へ向けてたくさん準備をしていたようだったが、彼女の大学受験の半年前に亡くなってしまった。彼女は、その時、もう母に怒られなくてもよいのだと、半ば安心したと言う。母の死の動揺からか、第一志望の大学には落ちてしまい、彼女はこの大学に入学した。ここらへんに、勉強のやる気が出ない原因がありそうだった。

 

 その後、安住さんの導きによって、彼女は両親の夫婦関係について、もう一度考え直すことで、気持ちを整理することができた。大学を卒業した後、もう大学受験をして医学を学びたいという目標もできた。そして、彼女はまっすぐに前を向いて、相談室をあとにした。彼女はもう、うなだれた向日葵ではなかった。安住さんには、彼女が、新しい目標に向かって前を向く向日葵に見えた。

 

 この物語には、カウンセラーとして安住さんが熟達している様子がいくつか見られる。

 

 まず、安住さんが、彼女と初めて会った時の「うなだれた向日葵」という第一印象を大事にしているということだ。第一印象は、案外相手の深い、本質的なメッセージを伝えてくることが多いと、安住さんは感じている。そして、カウンセラーの力量は、第一印象や、こちらが抱く違和感を、どれだけ精確にしかも自分の言葉で記述できるかにかかっているのではないかと、安住さんは言う。

 

 また、安住さんは、彼女とのカウンセリングの中で逆転移を使用している。母親として、彼女の母親のことを考え、個人的な素直な気持ちを述べている場面がある。

 

 「お母さんが、あなたのことを、どう思っていたか、今となっては本当のことを知ることは誰にもできない。でも、私は、お母さんはあなたの成長を見届けられなくなって、とても残念に思っていると思うよ」

 

 しかし、葛藤の末につむぎ出したこの言葉は、本当に素直な気持ちで、安住さんのその気持ちを彼女も汲み取っている。精神分析の分野では逆転移は禁忌とされているが、それを超えて安住さんは伝えたくなったのだろう。心に浮かんだ感情を、精確な言葉で伝えようと思ったのだろう。その努力をした末に、彼女の心にその言葉が届いたのだった。

 

 カウンセラーは、クライエントの一段上に立っていそうなイメージがあるが、安住さんは、心の底から対等に、正面から彼女と関わっていきたいと感じていたのだと、私は思う。