12人のカウンセラーが語る12の物語(3)

 

 「先生は私を見捨てました」

 

 大学に入って、勉強に専念するあまり、睡眠をほとんどとらず、過密なスケジュールを組んだ彼。ある日、同級生に勉強ができなくなる魔法をかけられたと彼は言った。母親に病院に連れてこられて混乱している彼を、山本さんは辛抱強く見守った。

 

 しかし、彼と山本さんの間には、大きな断絶があった。一生懸命努力したのに、病気になってしまって、好きなことをすることができなくなってしまった彼と、ある程度好きなことをすることができる山本さん。彼は言った。

 

 「先生は私のことをぜんぜん分かっていません」

 

 山本さんは、一日中彼のことを考えるようになった。彼の好きな音楽を聴いて、彼の見た景色を見て、彼の読んだ本を読んだ。そして、次第に山本さんの中には、寂しさや悲しさ、虚しさがつのっていった。彼がどうしようもない孤独の中にいることに気づいた。

 

 しかし、理解をできたところで、彼と山本さんの間にあった断絶が消えるわけではなかった。それは、決して消えることはない。山本さんが家でテレビを見ているときも、寝転んでいるときも、常に彼は苦しんでいる。その不条理は、消えるはずがなかった。

 

 彼に関わる中で、山本さんは、人生で初めて他者と深い触れ合いをしていたことに気がついた。断絶を埋めることはできないけれど、理解しきれない苦悩の中を必死に生きている彼と本気で関わろうとするとき、表面上の波風を立てないような応対だけでは不十分だった。山本さんと彼は、たくさんの話をし、本気で笑ったり、泣いたり、怒ったり、喧嘩をしたりした。

 

 他者の心を知りたくても、私たちは他者の心の相似形を見ることしかできない。異なるバックグラウンドを持っていれば、感じ方や考え方も違う。だから、私たちは他者の気持ちを理解することはできない。ただ、山本さんが彼の心を理解しようと思う心が、この物語の唯一の救いであり、悲しみであった。

 

 私たちは、どこまで分かり合えるのだろうか。人間関係というものが、どんどん分からなくなっていく。

 

 ただ、ひとつだけ分かることがある。病室の窓から秋の空を眺める山本さんと彼の心には、互いの存在というものが、ぽつりと雲のように浮いている。

 

 

痛みの通過点

 

 優子は、予約なしで学生相談所を訪れた。高橋さんが話を聴くと、優子は人間関係の悩みから自傷行為に走ってしまうようだった。しかし、その事実をサバサバと話す優子に、高橋さんは驚いた。

 

 話を聴いていくうちに、優子の家族には嫁姑の確執が存在し、優子がうまく立ち振る舞うことによって、家族は保たれていたようだった。だから、彼女は人間関係全般について、うまく立ち振る舞おうとして、無理をしてしまう。それが溜まりに溜まって、自傷行為に走っていたのだった。

 

 自傷行為による入院を心配した家族が、優子を連れて三人で高橋さんのもとを訪れた。父娘の口論は凄まじかったが、母はまったく口を出さなかった。優子は、そのように抑制的な母が、自分のことを理解してくれていないと感じていた。優子は、母から頻繁に送られてくる手紙を読むのが怖かった。

 

 優子は、苦しんだ。髪をカラフルに染め、ピアスをいくつもつけ、風俗に手を出した。優子は、自分なりに悩み考え抜いて、母にこう言った。

 

 「今は、資格よりも生きてる意味を探したい」

 

 この言葉を聴いても、母は動じなかった。優子だけではない。高橋さんには、この家族が回り始めた気がした。そして、優子は卒業の年に、就職をすることを決意し、無事に養護施設への就職を果たす。初めて自分のために自分の力で頑張った優子の心は、充実していた。これからも生きてる意味を考えながら、優子は充実した日々を送るのだろう。

 

 優子は、賢い子だと思う。人間関係についてうまく立ち振る舞おうとして悩む人は、結構多いのではないか。その中で、優子はそれを乗り越えた。自分で考え、決断をした。そして、自分で探さねばならない「生きてる意味」を探そうと、自ら旅に出た。何も痛みを感じずに生きているよりも、優子のように痛みを感じたことのある人のほうが、「生きてる意味」を重要視することができるのかなと、私はふと思った。この物語を読み終わった後、優子の健気さに胸が暖かくなるのを感じた。

 

 

迷惑がられるのはイヤなんです

 

 相談に来た彼女は、ゼミや進路のことで悩んでいるようだった。田中さんは、彼女のカウンセリングを進めていくうちに、彼女が人に迷惑をかけることを極度に嫌い、身動きができなくなっていることに気がついた。

 

 田中さんと話をしていく中で、次第に彼女は自分の気持ちを素直に人に話すことを学ぶ。彼女にとって、人に自分の気持ちを話し素直に人と交流することは、迷惑をかけることに違いなく、それはとても苦しいことだった。その苦しみを味わいながらも、彼女は少しずつ、努力を重ねていった。

 

 この物語の中で、田中さんがひとつの寓話「ヤマアラシのジレンマ」の話をしている。ヤマアラシの群れが、ある寒い冬の日に一緒に寄りそって、お互いの体温で寒さをしのごうとする。けれど彼らは、すぐにお互いの針を感じて、そのためにまた離れ離れになってしまう。そこで、再び体を暖めようとして近づくと、針の禍が繰り返される。彼らは、その二つの苦悩の間をあちこちとうろつき、ついには一番我慢しやすい適当な距離を見つけ出した。

 

 フロイトは、この寓話をある論文で引用し、親密なふたり(夫婦や親子、友情など)の関係には「ほとんどすべて拒絶し敵対する感情のしこり」が含まれており、それに気づかないのは、ただ抑圧されているからだ、と言った。

 

 何度も痛むまで近づくことによって、相手の針と暖かさを知ること、そして、自分の針と暖かさを知ること。それなしには、互いに暖めあい迷惑をかけあえる人間関係は生まれないのだと、私は思う。