12人のカウンセラーが語る12の物語(2)

生きのびるための死

 

 「研究室の指導教授との人間関係がうまくいかない」

 理学部三年の彼は、そのような悩みを持ち、カウンセラーの高石さんのもとを訪れた。彼は、カウンセリングを通して、この世界の他者との断絶(ひいては、高石さんとの断絶)を語り、次第に高石さんに強迫観念を押し付け、自らの感じている苦しみの世界へと高石さんを引きずり込もうとするようになった。高石さんの日常生活は彼の強迫観念で支配されるようになり、高石さんはスーパーヴァイザーとの面接をする。高石さんが自己の内面を見つめつつカウンセリングを進める一方で、彼の苦しみは基本的には変わることはなく、二年の留年を経て、彼は卒業をしていった。

 

 この物語の中で印象的な場面がひとつある。

 

 それは、高石さんがスーパーヴァイザーと面談をする場面だ。スーパーヴァイザーのマーク先生は、「母性でもって彼を包み込もうとすることは大事だけど、やみくもに包んで何かに閉じ込めようとするのはどうかな」と高石さんに伝えた。そう、彼と高石さんの間には、断絶が存在した。彼はこの世界の中で孤立しており、この世界に存在する他者との断絶を感じている。そして、彼にとって高石さんはこの世界の他者の代表だったのだ。包み込もうとしても、決して包むことのできない断絶が、そこには存在した。

 

 彼は次第に、孤高の世界の自分を殺して、こちらの世界の他者とうまくやっていく方法を模索し始めるが、最後にはやはりうまくいかなかった。同様に、高石さんも、彼のカウンセリングをするために、何でも包み込もうとする自分を殺さなければならなかった。そして、その死は諦めではなく、挑戦に違いなかった。異世界で同時に生じた、今までの自分を殺すという「生きのびるため死」のシンクロニシティに違いなかった。

 

 

殺意の自覚

 

 その心細そうな女子学生が、カウンセラーの杉原さんのもとを訪れたのは、研究室の人間関係で悩んでいたからだった。彼女は、同じ研究室に所属する変わり者の男性の先輩から好意を持たれていて、頻繁にメールを送られ、ご飯に誘われる。彼女は、そんな先輩の態度にストレスを感じているが、思い切って断ったり、怒ったり、自己主張をしたりすることができず、困っていた。

 

 最初は、彼女は単にストレスを感じているだけのようだったが、カウンセリングを進めていく上で、彼女が先輩に対してどうしようもなく殺意を感じていることが判明する。その抑えきれない感情にどう対処していこうかということを、杉原さんと彼女は考えていく。そして、最後には、殺意を抑えてきちんと先輩に向けて自分の思っていることを言うことができるようになり、彼女は研究をうまく進めていくことができるようになった。

 

 この物語の中で、杉原さんは、自らの性格が彼女と似ていることを指摘している。フロイトは「分析家は自分自身が到達した地点を越えてその先にまで患者を導くことはできない」という言葉を残している。しかし、ニーチェは言った。「自分の鎖を解くことはできなくても友の鎖を解くことができる者もいる」と。

 

 杉原さんは、カウンセリングを通して、誰を救おうとしたのであろうか。そして、自分が見たくても見られない地平を彼女に見せてあげたいと、どれだけ願ったのだろうか。その願いが、彼女の心を救ったのかもしれないと、私は思った。

 

 

それは突然やってくる

 

 とある大学の学生相談所でカウンセラーをしている中川さんは、初夏に女子学生から「隣人の騒音に悩まされている。毎日飲み会をしている声が聞こえる」という相談を受ける。

 

 折り角、男子学生が酒で酔って公衆の場で服を脱ぐ動画がネットで流通し、大学に苦情のメールや電話がたくさん来るようになった。中川さんは、ネットの掲示板を探し、男子学生の動画を批判することで盛り上がりを見せているスレッドを発見した。そのスレッドに、大学のメールアドレスや電話番号が書かれていて、「みんなで大学にメールと電話をしよう」という書き込みがされていた。この書き込みを基点に、この騒ぎが生じていたのだった。掲示板には、動画で服を脱いだ学生の実名まで書いてあった。

 

 掲示板では、ちょっとした言葉の強さや傾きが次々と妄想を生んで、現実から遊離していっていた。中川さんは、そんなネット社会の匿名の何者かによって、翻弄され、疲れきってしまった。

 

 大学側が動画に関しての謝罪文を出すことによって、掲示板の賑わいは急速に衰えていった。ちょうどその頃、違うニュースが飛び込んできたことによって、ネット上の賑わいはそちらへ移動した。

 

 そして、実は、この一連のネット上の「祭り」を誘導していたのが、初夏に相談に来た彼女であることを、杉原さんはのちに知ることになる。

 

 ネットは怖い、というのが、この物語を読んだ率直な感想だった。最近は、掲示板はあまり活発でないものの、SNSの中で様々な人の発言が様々に「祭り」を誘導している。程度の差こそあるが、SNSと現実世界で、性格が解離している人もたくさん見られる。私には、そのようなネットユーザーが、冷たい海の中を群れをなして泳ぐか弱い魚に思えた。彼らが暖かい海をゆっくりと泳ぐ日は、果たしてやって来るのだろうか。