弱くあることと休学のすすめ

 キャンパス内の池のベンチに寝転がって、空を見上げる。こもれびが暖かい。池の中で、亀がゆっくり泳いでいく。耳をすます。滝の水が流れる音、風に木の葉がそよぐ音、鳥のさえずり、グラウンドの勇ましい声。ここが東京の真ん中であることを忘れそうになるけれど、ふとした瞬間にかすかに車の入る音が聞こえる。老夫婦が僕の横をゆっくりと通り過ぎていく。

 

 雲が確かに動いている。

 

 そのことに気がついた時、僕はこれ以上ない幸せを感じる。静かな時の流れの中で、雲はゆっくり流れていく。歩いていては分からない。疲れた足を癒すために、ふと立ち止まって、ふと寝転んでみて、初めて気づくことができる。

 

 心は遠く、数年前の4月13日、この池から50mほども離れていない大講堂の景色に移る。入学式の時に聞いた、名誉教授の祝辞を思い出すと、いつだって身震いする気分になる。彼は言った。休学をして、世界を見てくるといい、と。世界の中の自分を見つめるための「休学のすすめ」。これが大学か。そう思うことができた、素晴らしいスピーチだった。

 しかし、僕は思う。僕はそんなに頑張りたくない。この大学の人は、生き急いでいる。この池でひなたぼっこをする学生は、ほとんどいない。課題に追われ、研究や就職を見据え、毎日せわしなく動き回る。僕は強くない。世界をひっぱるような存在になりたい訳でもないし、なれるとも思わない。 僕は、彼らのように頑張るための気力を持ち合わせていない。

 

 昔からよく、星を見ていた。星の瞬きはか弱くて、弱い自分の仲間だと思えた。仲間たちが空から見守ってくれているように思えた。最近は冬が近づいてきて、東京でも星が綺麗に見えるようになってきた。僕は、冬のダイヤモンドが好きだ。先日、家のベランダから冬のダイヤモンドが空いっぱいに広がっているのが見えて、しばし見とれてしまった。上京して半年、東京の空ってこんなに小さかったんだ、星座ってこんな大きかったんだと、初めて知った。

 しかし、星座というものは、昔の人が勝手に星を結んで考え出したらしい。人生は、地球に与えられた物質という手札以外に要素がなかったゲームだったはずなのに、いつの間にか私たちの手札は増えた。金、国、法律、倫理、道徳、信頼、価値。言語、人種、色彩、音階、流行。正しいとはどんなことを言うのか。間違いとは何か。大事なものとは何で、いらないものとは何か。これら全部を、人間は創り出した。今の世界は、人間が創り出したもので回っている。

 

 世界の中の自分を見つめる前に、自分の中の世界をきちんと見ることができているか。僕たちは、あたかも世界が絶対で、その世界に挑む存在として自分があると思い込む。しかし、それは少し意気込みすぎなのではないか。世界が人間によって創られたのならば、ひとりひとりが自分の思う世界を創り出していい。多分、世界はそういうひとりひとりの世界の重ね合わせで出来ていて、少しずつ変化していくひとつの主体であり、客体であるのだ。

 

 文部科学省 は「新しい学力」や「生きる力」という言葉を打ち出して、教育改革を目指しているらしい。僕は思う。人間は、どこまで決めていいのだろうか。人間は、どこまで他人を評価していいのだろうか。評価をするということは、矢印の正の向きを決めることになる。それは、世界の押し付けにならないか。正の向きが定まるような人間の評価というものは、あっていいものなのか。

 ひとりひとりの個性を伸ばしたいのなら、既存の価値観の押し付けは行われるべきではない。本当の「生きる力」を子供達につけさせたいのならば、評価はすべきでない。今の教育の流れでいくと、生き方がコンテンツ化・パッケージ化していく気がする。

 誰しも、強い訳ではない。誰しも、元気に主体性を持って感情豊かに生きていける訳ではない。理想的な生き方を、客観的に示すことは可能なのだろうか。

 

 主体性とはなんだろう。ある状況下において、自ら判断し行動するような性質のことだろう。だから、主体的というのは、「ある状況の中で」主体的だ、ということができる。主体的というと、あたかも自分の中だけで完結しているように思えるが、主体性というのは必ず外の世界と関わって初めて定義されうる。 

 主体性は外の世界と関わるもので、日本の教育改革は主体性をつけさせようと考えている。星はか弱くまたたき、人間は星座を結んで夜空を楽しむ。あの名誉教授は、世界の中の自分を見つめるために、休学をすすめていた。僕は今、池のほとりで寝転がって、ひとりでそんなことを考えている。

 

 この池の静けさに、巻き戻っていく想い。

 

 空に浮かぶひとつの雲が、ふかふかのベッドに見えた。僕がふかふかのベッドに見えたならば、あれはふかふかのベッドでいいじゃない。ダメな理由があるのだろうか。

 僕は思う。消極的で破壊的な主体性を持って生きたい。きれいに生きなくていい。消極的でいい。無理して世界に適合しようとしなくていい。時には静かにカッコよく世界の一部を破壊して創り変えていい。世界の中の自分を見つめるために休学しなくてもいい。休みたくなったら、自分の中に世界を見つけたくなったら休学したらいい。ちょうど、池に浮かぶ亀と同じように。

 

 そして、僕は忘れない。あの名誉教授の祝辞の最後の言葉を。

 

 「Carpe Diem 今日をつかむ」

 

 僕は、ゆっくりと流れる時間の中で、自分の思うままに、今日をつかむ。

思い出

 金曜日の深夜2時頃に、ドライブをしないかと電話をいただいて、知り合いの車に乗っていると、思わずながら群馬県に来ていました。車の後部座席で目が覚めた時に、窓の外を見やると、それはそれは美しい朝日と、どこか見覚えのある風景が広がっていて、いつ見たんだっけとしばらく考えていたのですが、車を運転していた友人の一言で思い出しました。

 「もう10年も前になるなぁ。」

 まぎれもなく、ここは尾瀬。小学校5年生の時に、林間学校で訪れた、思い出の地。この腐れ縁のドライバーと一晩中語り明かした、懐かしい記憶がよみがえります。小学5年生の自分は、少しずつ大人の事情が分かり始めていて、その上で自分がどのように振る舞えばいいかを考えて、でもそれは友人たちには理解出来ないことであることを自覚していました。こんな悩みを言っても、誰も分かってくれないんだろう。そんなことを思って、誰にも言わずに人知れず落ち込む日々が続きましたが、林間学校のあの夜に、「悩みがあるなら俺に言えよ。」と言ってくれた同級生がいて、初めて人に自分の悩みを打ち明けたのでした。星がきれいで、夜風が気持ちよくて、本当に夢のような夜でした。

 その同級生も、今ではいかつい外見になって、深夜に連絡をよこしてドライブに誘ってくるようになったと思うと、10年って長いなぁと思うわけです。

 

 金曜日の夜、ドライブに行く前、バイト先の先輩方と焼き肉を食べたりお酒を飲んだりしていたのですが、その裏で映画「思い出のマーニー」がテレビで放送されていました。私はこの映画が大好きで、スタジオジブリの作品の中で一番好きです。公開当時、大学の友人とこの映画を映画館まで見に行ったのですが、初めて見た時は本当に強い衝撃を受けました。

 両親と血がつながっていないことを悩んでいる中学生の杏奈は、持病の気管支喘息の療養のために、親戚の住む海辺の村でひと夏を過ごすことになります。杏奈は、昔は笑顔をたくさん見せていた子だったのですが、成長するにつれて、血がつながっていない両親のことを悩み始め、次第に暗く大人びた子に変わっていきました。そんな杏奈が、海辺の村の湿っ地屋敷に住む少女・マーニーと出会います。杏奈は、マーニーとの様々な経験を通して、感情を取り戻し、両親と自分の関係を受け入れることができるようになります。そんな、ひと夏の、杏奈の成長の物語です。

 

 ドライブに連れだされて、車内でぐっすり寝ていた私ですが、いつの間にか思い出のマーニーの夢を見ていました。目覚めた時に、あんなに心穏やかになっていたのは、マーニーの夢を見ていたからなんだろうと思います。そんなこんなで夜が明けて、なんで尾瀬なんだろうと不思議に思っていたら、腐れ縁ドライバーにとある学校の体育館に連れて行かれました。彼は昔から、説明を省くことが多く、そこのところとても厄介なのです。突然体育館に連れて来られた私に、彼は直前になって説明を始めました。

 「これは、対人関係に難しさを感じている高校生・大学生とその保護者の方々の集まりなんだけど、お前に30分やるので何か話をしてくれ。」

 なるほど、彼はいつもこんな適当な感じだが、意外といろいろ考えていて、大学でも心理学を専攻しているんだった、と会の趣旨を納得した私でしたが、適切な話題が思いつかず、ちょっと待ってくれと彼に伝えました。ですが、彼は一言だけ言葉を放って、私を壇上に放り出しました。

 「お前が実際に悩んだ話をしてほしいんだ。」

 悩んだ話、悩んだ話・・・。そうか、これを話そう。そう決心するまでに、そう時間はかからず、私はあたかも東京から来たお偉いさんのような感じで話を始めることになったのです。以下、私が公演をさせていただいたお話の内容になっています。

 

 

思いやり

 「あれほどに 猛暑去れよと 願いしが 秋風を知る 寂しさはなぜ」

 すっかり秋の陽気になり、空に浮かぶ雲も様々な模様を見せてくれる季節になりました。とてもきれいではあるのですが、どことなく寂しさを感じるような秋の空が見られるような季節になってしまったのだなぁと、あはれの心が大好きな私は思ってしまうのです。

 

 はじめまして。・・・(自己紹介は省略)・・・。

 先日、父と母と一緒に、東京で食事をしたのですが、特に母と会うのは実家を出てから初めてで、こちらはまったく寂しくはなかったのですが、母のほうはとても寂しがっていたようで、まぁそうだろうなぁという感じでした。そんなことで、今日させていただくお話というのは、すごく難しいかもしれません。端的に表現するならば、それは

 

「人はいつ死ぬか」。

 

 心臓が停止した瞬間に、人間は死ぬのだろうか。あるいは、脳が活動を停止した瞬間に、人は死ぬのだろうか。人は、いつ死ぬのだろうか。みなさんは、考えたことがあるでしょうか。

 みなさんの中には、身近な人が亡くなった経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょうし、そうではない方もいらっしゃるでしょう。ただ、高校生や大学生のうちは、まだ死というものがどのようなものなのか、いまいちよく理解できない場合が多いのではないでしょうか。私も高校生の時、そんな感じでした。

 私は、大学1年生の時に、恩師を亡くしました。小学校3年生の時から通っていた、そろばん教室の先生です。私は、様々な経験をその先生と共にし、そろばんのことだけでなく、人間として大切な礼儀や、社会の中で生きていくための道徳を学びました。

 

 そんな先生が亡くなったのは、私が大学1年生の年の6月のことです。今でも忘れはしません。あの日、日中にサークルの試合があり、夜に試合お疲れ様の飲み会をしていたのです。飲み会が終わって、外に出て、携帯電話を開くと、何件もの電話通知が残っていて、掛け直すと、そろばん教室の後輩が出て、先生が亡くなった旨を知ることになったのです。その瞬間、私は本当に信じられなくて、何も考えられなくて、流れ出るように涙が溢れて、動く気力もなく、とりあえず歩かなきゃと思って歩いてみたものの、「なんで歩かなきゃいけないんだろう。」そんな思いが頭に浮かんで、その場に座り込んで、後輩が迎えに来てくれるまで、ずっと地べたに座り込んでいたんですね。

 死因は癌でした。直接会いはしていませんでしたが、2週間に1度ぐらいの頻度で手紙のやりとりをしていて、癌の治療は順調だと聞いていたので、本当に突然のことで驚いてしまいました。

 

 遺言書には、「病で弱った体を見られたくない故、誰にも見られぬように火葬すること。」と書いてあったそうで、とうとう私は、先生のお顔を拝見することがなかったのです。私が最後に先生に会ったのは、私が高校3年生の8月のことでした。ビルの屋上で、蝉の声に身を焦がされながら、涼しい風を感じながら、受験の話をしたのを覚えています。とある大学を受験することを初めて先生に告げると、先生は表情を一切崩さず、「なぜその大学を受験するんだい?」と私に問いました。私は、馬鹿にされると思ったのだけど、正直に答えました。「私は、人生を逆転したいのです。今の家庭状態は厳しく、金銭的にも生きていくのが厳しく、私は大学に行くからには、無償で行ける大学を選ばなければならないのです。また、あの大学には、日本におけるある程度の知名度があります。地位や名誉が欲しいという気持ちはまったくありませんが、それらを利用して、金を稼いで、家族を助けたいのです。」私は、はぁ言ってしまったなぁ、という気持ちでいっぱいだったのですが、先生は表情を一切変えませんでした。そして、人差し指を空にめいっぱい突き上げて、こう言ったのです。「あのヤケに明るい星は、月や地球を照らして崇められているが、一体なんのために輝いているのだろう。人は何のために生きて、死んでいくのだろうね。人間は不思議な生き物だね。だって、他者との安定した関係を求めるのに、自分と自分の心との対話を怠るのだから。一番近くにあるはずの自分の心というものが、一番遠いように思ってしまうんだから。太陽から見れば、輝く月や地球は美しいだろうに、自分は地獄のごとく赤く燃え上がり、毒々しいばかりじゃないか。」

 この時、私は初めて、人間って何のために、誰のために生きるのが正しいんだろうって、考えたんです。私は衝撃を受けて、しばらくの間、暑い屋上でぼうっとしていました。いつの間にか先生が飲み物を買ってきてくれて、私に言葉をかけてくれたんです。「まぁ、誰が何と言っても、受けるんだろう?お前は昔から、思い切った決意をする時は必ず、それなりの覚悟をもっているし、一度だって引いたことがない。今回も思うようにすればいい。ただ、いつも言っていることを忘れないで。たとえ失敗したとしても、挑戦したという選択を後悔しないように。いや、後悔しないような選択をしなさい。そして、家族は大事にしなさい。」

 

 これが、私が聴いた先生の、最後の声に、私が見た、先生の最後の笑顔になったのでした。

 

 今年の夏、私は大学3年生で、あの夏は、もう随分遠い過去に感じてしまいます。8月のある日、私はひさびさに埼玉に帰省して、夕方に偶然先生の息子さんのお宅の近くを通り、しばらくぶりに会ってみようということで、息子さんのお宅を訪れました。息子さんは私を歓迎してくださって、夕ご飯までごちそうしてくださいました。夕ご飯を食べている時に、息子さんは偉く真面目な顔をして、私にある事実を告げました。

 

 先生が亡くなったのは、本当は4年前の今日なんだ、と。

 

 4年前の今日、つまり、あの屋上で私と先生が話をした、あの日。あの日の夜に、先生は亡くなったそうです。大学1年の春まで定期的に私に届いていた先生からの手紙は、先生が生前に書き溜めたものを、息子さんが私に送ってくれていたものだったのです。先生は、自分の死によって、私が動揺して大学受験や大学生活のスタートに失敗しないように、息子さんや、そろばん教室の先輩・後輩に、芝居を頼んだのだそうです。知らなかったのは、私だけだったのです。あの時、あの屋上で、どうして気がつけなかったんだろう。そんな想いで私の心がいっぱいになる前に、先生の「結果に後悔はするな」という言葉が聞こえた気がしました。だから、私は何も知らずに受験をしてのうのうと大学に入学したことを、絶対に後悔してはいけない。そしてまた先生も、私にこんな最大のドッキリを仕掛けるという選択を、絶対に後悔していない。

 その日の夜、私は先生のお墓を訪れました。ひとつだけ言いたいことがありました。「先生、あなたが一番の太陽だったじゃないですか。最高の、自虐だったじゃないですか。私はあなたが照らしてくれたおかげで、人間は何のために生きるのか、誰のために生きるのか、見えてきました。」私は、涙が止まりませんでした。その夜、星を見ながら、ずっとずっと墓前に座っていたのでした。

 

 人はいつ死ぬか。

 

 私の中で、大学1年の6月まで生きていた先生の影法師。先生は、確かに私の中で生きていて、確かに私の近くにいたのです。

 私は、東京で一人暮らしをしていても、どうせ父や母は、ど田舎で相変わらずやかましく元気にしているのだろうなと思っています。電車に数時間乗っていけば、実家について父や母に会えるんだろうと思っています。しかし、父や母は、きっと常に私のことを心配しているのです。

 

 思いやりとはなんだろう。考えたことがあるでしょうか。人を思う心は目には見えません。

 だから、思いやりは行動で示そう。私は、先生から手紙が来ていたから、先生が見守ってくれていると思えたのです。私は、両親からしょっちゅう連絡が来るから、心配してくれている、愛されていると思うし、どうせ両親は元気だろうと安心できるのです。だから、行動に表そう。恥ずかしいかもしれない。失敗したら嫌だなと思う。だけど、相手に思いが伝わった時、その恥ずかしさや不安よりもはるかに大きいものを、あなたは生むことになるのです。相手の心にも、自分の心にも。

 実際は、先生は亡くなっていました。だけど、先生の私を思う心が、私を救ってくれました。また、実際は、私には戸籍上の両親がいません。しかし、今私には確かに、両親がいるのです。あんなに、心配してくれる人たちがいるのです。私の父と母は、まぎれもなく、私の父であり、母であるのです。

 

 最後に、私の小学校時代の話をして、この長いお話を締めくくらせてください。私は、小学校5年生の時に、林間学校でこの尾瀬の地に来たのですが、ちょうどその時、両親のことや、そろばんのことで、すごく悩んでいたのです。また、私は少し大人びていて、あまり仲のよい友達がおらず、林間学校をあまり楽しむことができていませんでした。そんなことで、夜、私が一人で星を眺めて涙を流していると、あまり話したことのないいかついやつがやってきて、私の隣に座って、言ったのです。

 「俺みたいなバカに分かるか分かんねぇけど、お前の思ってること全部聞きたいんだ。」

 そこからずっと、きれいな朝日が登ってくるまでずっと、彼は私の話を真剣に聞いてくれました。素敵な夜でした。今でも忘れない。あんなに気持ちが楽になった夜はありませんでした。

 

 ぜひ、話してみよう。話をすることで、生まれるものがあります。伝わる気持ちがあります。私から皆さんに伝えたいことは、これに尽きます。ぜひ、話をしてみよう。

 

 ちなみに、林間学校の夜に話を聞いてくれたいかついやつとは、10年経った今でもよく連絡を取り合っています。そう、ちょうど、髭面で、ソフトモヒカンで。皆さんにも見覚えがあるかもしれませんね。

 

 私の話は以上です。ありがとうございました。

学生同士の支えあい

 先日、いくつかの研修を終え、現在通っている大学の正規ピアサポーターとして認定をしていただきました。ピアサポートというのは、同等な立場の者(ピア)同士が、互いに支援(サポート)をし合う、という活動です。海外には、ピアサポート活動を行っている初等・中等教育機関は多く存在しますが、それに比べて日本のピアサポート活動の数は少ない状況にあります。また、大学のような高等教育機関におけるピアサポートの例は、世界的に見ても少ないのです。

 

 そのような状況の中で、私の通っている大学がピアサポート活動を行う意味とはなんでしょう。

 

 日本の大学生という身分は、すごく特殊な状態であると、私は思います。アメリカの心理学者であるエリク・H・エリクソンは、自身が提唱したライフサイクル論という理論の中で、人生の中には、アイデンティティ(自分とは何者であり、何をなすべきなのかという心の中の考え)を確立するための青年期という時期が存在する、としています。日本における大学生という身分は、ほとんどの場合青年期に位置していて、大学での研究や将来の就職を見据えた活動によって、自分というものを探求する存在であるのです。ですので、大学生に悩みが多くあるのは当然のことなのです。

 さらに、時代の変化によって、状況は大きく困難な方向へと向かいつつあります。地域社会の崩壊や核家族化、SNSの過度な使用は、支え合いのネットワークを希薄にし、支え合いによって様々な問題を予防し解決することができなくなりつつあります。それに反するように、大学生のサークル加入率は増加しています。大学という人とのつながりが希薄になりがちな機関において、サークルに加入して友達を作りたくなるのは、当然の想いではないでしょうか。現在、過去には数が少なかった自傷行為やひきこもり、精神疾患という問題の数が急増していますが、支え合いのネットワークによって、それらの問題を解決することができるのではないか、と私は考えています。

 時代の変化は、大学生だけでなく小中学生や高校生にもに大きく影響を与えていますが、一方で、大学生特有の問題というものも多くあります。大学入学直後には、高校と大学のシステムの違いにとまどいを覚えたり、一人暮らしなどの新しい生活環境になかなか慣れなかったり、今までの人間関係と切り離されて孤独を感じたりするでしょう。サークル探しに失敗した、最初でつまづいてしまったので大学生活4年間ずっとひとりぼっちでつまらなかった、というような話をよく聞きますが、やはり入学直後というのは、一番つまづきやすい時期であるのでしょう。さらに、東京大学の場合は、進学振り分け制度によって、3年生から新しい学部に所属し、新しいキャンパスと新しい集団の中で、より専門的なことを学ぶことになっていますが、これは「第二の入学」とも言えるでしょう。つまり、この時期にもつまづきやすいということなのです。そして、4年生になると、いよいよ就職や研究のことを考えなければならなくなり、学生生活の終了・社会生活の開始を強く意識しなければならなくなります。大学院に行く道を選んだ方は、研究についての悩みや、研究者としての将来についての悩みが多くなるでしょう。

 

 大学生はまさに、悩ましき存在なのですね。

 

 ところで、ピアサポートの研修の中で強く感じたことが2つあります。

 

 ひとつは、は対人コミュニケーションってすごい難しいなぁということです。最近、「コミュ障」という言葉をよく聞きますが、コミュニケーションが苦手な人が、世代を問わず増えていると言われています。でも、時代がどうとかそういうことではなく、そもそもいつの時代においてもコミュニケーションって難しいなって、研修の途中で思ったんです。人間は、言葉や動作でしか、他人に何かを伝えることができません。言語には決まった文法があり、単語には決まった意味がありますが、自分の伝えたいことがあって、それを頑張って言葉にしたとしても、その伝えたかったことが正しく相手に伝わるとは限らないのです。その言葉の言い方、その時の態度、状況、諸々の事情を含めて、相手はその言葉を噛み砕き、理解します。ですので、色々な事情を踏まえて、言葉を選んだり、時には伝えることをやめたりしなければなりません。それを瞬時にやることって、実は難しいことなんじゃないかなぁ。FELORモデルがどうとか、色々な理論もあったりしますが、実感として、考えれば考えるほどコミュニケーションって難しいなぁと思いました。

 

 ふたつめは、人生計画って結構重要なことなのに、それを具体的に学校で教えたり、公に誰かがアドバイスしてくれることって少ないなってことです。中学校の時、家庭科で「こんな大学に行ってこんなことをして、こんな会社に就職して、何歳で結婚して、子供を何人生んで、老後は何します」みたいな計画を立てろって言われた時は、こんなあほらしいことをして何になるんだろうって思ってたけど、実はそれって超重要な授業だったのではないか、とこの歳になった今では思います。無宗教の身としては、自分が生まれた意味なんて、外部から特に与えられていないんだろうなと思います。つまり、生まれながらにして、自分にはこういう使命があるだとか、そういうことはないと思うんです。どうして人間やその他の生命が繁殖したがるのか、繁殖したがるようになったのかは、科学できちんと解明されているわけではありません。ただ今の人間たちは、知らず知らずにわいてくる性欲や母性・父性に従い、子供を生み育てているだけだし、世界はそのよく分からない欲に従って、いくつもの時代を作ってきたように、私には見えます。自分も、自分の親も、自分の友人も、みんなみんな、このよく分からない時代の循環の中で、よく分からない機動力によって、ひとつの時代を作り、そして死んでいくんだと思います。そう考えると、目標が見つからないとか、将来どうしようとか、そんな風な悩みは、かなり自然な悩みなのではないでしょうか。まっさらな状態では人生に意味や目標は存在しなくて、でも生きるためには目標や夢が欲しくて、でも夢ってどう決めたらいいんだろう。受験ブームもさることながら、最近は新しい学力観の流れを受けてか、キャリア教育もはやってきていますが、受験や就職などのいわば人生の要所要所において、ほとんどの場合に将来何をしたいかということについて考えなければならなくなると思います。それを考えることは、とても難しいです。ですが、本当に自由に決めてしまっていいんじゃないでしょうか。だって、決まりなんて誰も作ってやしないんだから。ぱっとやりたいなって思ったこととかをさしあたりの目標にするみたいな感じでもいいんじゃないかなぁ。ただひとつ、よくないことは、それを考えることを放棄することではないでしょうか。目標なしに生きていくのは、とても難しいことです。自殺をする多くの人は、目標が見つからなかったり、目標があったとしても霞んで見えなくなってしまっていると言われています。将来とか、目標とか、そんな風な問題って、人間が存在する限り戦い続ける人間の本質的な問題だ、と私は思っています。本当に手ごわい相手ですね。

 ちなみに私が生きてる理由というか、人生の目標みたいなものは、一応ですがあります。私の目標は、時代の循環を作ること。さきほども言ったように、時代は循環し、それぞれの時代を生きる人々がそれぞれの時代をつくり、ある文化は受け継がれ、ある文化は廃れ、新しい文化が創造される……そんな風に時代は回っています。人間はせいぜい100年ちょいしか生きられないので、死にそうな大人は若い人に何か残してあげたほうがいいですよね。100年でできることって限られてますし、過去の人々が自らの100年を使ってあげてくれた成果を使わないはずはないです。過去の蓄積を使ったほうがどんどん人類は新しい一歩を踏み出せそうな感じがします。なので、私は未来を生きる人たちに小さくてもいいから何かしらを残したいと思っています。それが、教育の形をとるのか、情報技術の形をとるのか、まだ分かりませんが、そのどちらの形をとるかは、私の中では大して問題ではありません。私は、別に進歩主義者でも、献身的ないい人って訳でもないですけど、なんかそうしたいなって思ったんです。自分は自分で、今まで通りのろのろやりたいことをやって生きていく予定ですが、それにもまして他人の幸せを大切にしたいなという気持ちが最近大きくなっています。最近、年齢問わず身の回りの人がみんな娘や息子に見えて仕方がないような気持ちであふれていて、そんなかわいらしい娘や息子たちが笑っている姿を見るのが、自分の一番の幸せなんじゃないかなぁと気づき始めました。

 

 とにもかくにも、私たちが生きる現在の社会には、人間をめぐる、大きな問題があり、小さな問題もありますが、そのような様々な問題について、真剣に議論できるピアサポートルームの面々は、すごく魅力的だと感じています。これからの活動を通じて、できるだけたくさんの、楽しいとか嬉しいといった感情を、数え上げていけたらいいなぁ。

君たちはどう生きるか

 君たちはどう生きるか。中学生や高校生に向けて、その問いを発し続けている本があります。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫, 1982)です。この本は、1930年代に、少年少女に倫理を教えるために執筆されたのですが、読みやすい物語調と深いメッセージ性が受け、今なお毎年増刷されています。中学生のコペル君と、コペル君の叔父さんの対話の中で、そっと叔父さんがコペル君に倫理的示唆を与えます。とても面白く、読みやすい本です。

 この本が執筆されて約80年、社会状況は激しく変化しました。その変化の中で、倫理観も変化しつつあることを感じます。以下にお見せする駄文は、『君たちはどう生きるか』の世界の時を進め、浦川君の家でたい焼きを食べてしまった「文ちゃん」が「文じい」となり、コペル君の孫である「先生」や先生の生徒に、倫理的示唆を与えるという形で、執筆されました。お暇な方はぜひ読んでみてください。 

 

  

君たちはどう生きるか2015 ―― 学ぶ意味と生きる意味 ―― 

 文じいは、この町では一番の長生きです。歳は八十五を越えています。文じいは、若い頃には相模屋というお豆腐屋さんをやっていましたが、今はそのお豆腐屋さんは、文じいの息子さんとお孫さんがきりもりしています。それでも、文じいは毎日、店の中にあるゆったりとしたいすに座って、お客さんとお話をしています。いつもお客さんに面白いお話をしてくれるので、文じいはこの街ではちょっとした人気者です。
 今年の夏はとても暑く、連日猛暑が続いています。今日も昼間は気温が上がるそうですが、文じいは朝から冷房の効いた店内で、涼しげにいつものいすに座っています。しかし、今日はいつもより少し嬉しそうです。
 「親父、そんなにあの子たちが来るのが嬉しいかい。」
 笑顔でそう尋ねた息子さんに、文じいもまた笑顔で答えます。
 「ああ、嬉しいさ!若い子たちから、元気をもらえるんだもの。」
 あの子たちというのは、近所にある高校の職場体験プログラムの一環で、このお店に来ることになった高校二年生の生徒さんたちのことです。相模屋は、毎年、職業体験プログラムの生徒さんを数人受け入れています。今年は、3人の生徒さんが、相模屋にやってくるようです。
 「こんにちは!」
 いきなり店内に元気な声が響きました。どうやら今年の生徒さんたちがやって来たようです。
 「今井祐樹と申します!」
 「斉藤美里と申します!」
 「新井智治です!よろしくお願いします!」
 あふれんばかりの若々しさに、文じいはさらに笑顔になりました。
 「いらっしゃい、こちらへおあがり。」
 文じいは嬉しそうに、店の奥へと生徒さんたちを案内しました。奥では、息子さんとお孫さんがお茶を用意して待っています。生徒さんたちの引率として、先生も来ていました。背が小さく、笑顔が素敵な先生です。
 「龍山高等学校の本田と申します。三日間、お世話になります!」
 「元気がいいじゃあないか!よろしい!」
 文じいは無邪気ぶってそう答えました。そして、少し首をひねらせました。不思議なことなのですが、文じいは、いつかどこかで、本田先生に会ったことがある気がしたのです。しかし、当然そんなはずはありません。
 とにもかくにも、息子さんとお孫さんは、店の奥で生徒さんたちと先生に、職業体験の説明を始めました。説明が一通り終わったところで、生徒さんたちはさっそくエプロンと三角巾をつけて、お豆腐屋さん体験の始まりです。三人は、最初は緊張しているようでしたが、息子さんの気さくな態度のおかげで、少し気持ちが楽になったようです。

 十一時になると、息子さんはお店を開きました。文じいは、いつもどおりいすに座ってお客さんとお話をしていますが、生徒さんたちのことが気になって仕方ありません。しきりに、生徒さんたちのほうをちらちらと見て、大丈夫かいと声をかけます。その度に、親父はいつも通りにしていてくれと息子さんが言うので、文じいははいはいと二つ返事をして、またいつもの席へ戻るのでした。


 その晩、生徒さんたちと先生、それに文じい、息子さん、お孫さんは、みんなで一緒に晩ご飯を食べました。料理はお孫さんが作ったのですが、どれもおいしく、特に相模屋の豆腐を使った豆腐ハンバーグと高野豆腐は絶品のようで、生徒さんたちもとてもおいしそうにしていました。あらかたみんなが食べ終わると、ここぞとばかりに文じいが生徒さんに話しかけます。
 「君たち、職業体験でここに来ているわけだが、なにか将来やりたいことはあるのかい。」
 三人は難しい顔をして考えましたが、少しの後、新井君がはきはきと言いました。
 「僕は、公務員になりたいです!結婚して家族ができたときに、毎日定時に帰って、家族と一緒にいる時間を増やしたいからです!」
 「ほう。家族を大切にしたいってことだねえ。」
 文じいは、うんうんとうなずきました。
 「お二人さんはどうだい。」
 今井君と美里さんは顔を見合わせましたが、美里さんが先に口を開きました。
 「私は、将来結婚できたら、それだけでいいかなあ。素敵な旦那さんと、幸せな家庭を築きたいんです!」
 文じいはまた、うんうんとうなずき、笑って見せました。
 「君はどうだね、今井君。夢はあるかい。」
 今井君は、ひとり残ってしまい、どぎまぎしています。
 「僕は……」
 しばらく、沈黙が続きました。たまに新井君と美里さんが心配そうな目を向けますが、今井君はじっと宙の一点を見つめたまま、何かを考えています。どれぐらいたった頃でしょうか、今井くんが重い口を開きました。
 「僕は、まだ何になりたいとか、よく分かりません。なりたいものもないし、好きなこともあまりない。なので、とりあえず大学に行って、大学に行ってから色々考えてみたいんです!」
 今井君は、思い切ったような口ぶりで、語気を強めて言いました。
 「ほうほう。そうかい。将来のことを考えるなんて、難しいことだよねえ。」
 文じいは、今井君にほほえみました。しかし、今井君はまだ、難しい顔をして下を向いています。
 「文じいさんは、僕らぐらいの時、将来の夢は何だったんですか。」
 今井君は下を向いたまま、でも、はっきりとした口調でいいました。文じいは、何かを思い出すように遠くのほうを見やり、眉をひそめました。
 「僕が君たちぐらいの時はねえ、大変な時代だったんだ。戦争が終わって、間もなかった。戦争に負けてしまったところから、頑張って力を取り戻そうとする、激動の時代だった。それが、数年すると、だんだん景気が良くなってきて、明るい時代になってきた。色んな人が頑張ったんだよ。学生は、学校で懸命に勉強した。学校の先生が怖かったからってだけじゃあない。学校の出来で、将来が決まってしまうような仕組みになっていたから、みいんな懸命に勉学に励んだんだ。これは今と同じだねえ。ただ、僕は劣等生だった。僕は豆腐屋さんを継ぐって決めていたから。小さい頃から、豆腐屋さんになるって決めていて、毎日勉強よりも店の手伝いをしていたんだよ。」
 「他に、やりたいことはなかったんですか。」
 今井君が、まっすぐ文じいの目を見て、言いました。文じいは、また口調を改めました。
 「あったさ!僕の兄の同級に、面白い人がいたんだ。彼はみんなにコペル君と呼ばれていた。コペル君は何度か、いや何十度か、うちに来てくれて、彼はその度に、僕に面白い話を聞かせてくれた。この世界のこと。勇ましい英雄のこと。人間のつながりのこと。僕はそれを聞いて、もっとこの世界について、そして人間について、学びたい、考えたいと思ったんだ。ただ、この店を続けていくためには、僕が店を継ぐしかなかったから、僕は学校で学ぶのをやめてしまったんだ!」
 「自分から学びたいと思うなんて、すごいや。僕なんて、勉強が嫌いで嫌いで……」
 新井くんは、渋い顔をしています。
 「ちょっと話題を変えようじゃあないか。ときに、君たちは何のために高校に通っているんだい。」
 「みんな通っているからかなあ。」
 美里さんが、顎に人差し指を当てながら答えます。
 「高校行かない人なんてめったにいないし、女子高生は憧れだったし!かわいい制服を着て、勉強もして、恋もして、行事とか頑張って、そういう生活が、今すごく楽しいんです!」
 美里さんの顔が、ぱあっと明るくなります。思わず、文じいも笑顔になりました。間を置かず、新井君が割って入りました。
 「高校に行って、勉強しないと、大学にいったり、就職したりできないからですかね。」
 「では、どうして勉強をしないといけないんだい。」
 「それは……」
 新井君は、文じいの質問に、どもりました。
 「分かりません!」
 そう言ったのは、今井君でした。今井君には珍しく、とても大きな、沈黙を一気に破るような声でした。
 「僕、分かりません!なんで、学校にいかなきゃいけないのか、なんで、勉強しなきゃいけないのか、分かりません!」
 「そうかい。」
 文じいはお茶を少しすすりました。
 「どうして学校に行かなければならないのか。そして、どうして勉強をしなければならないのか。それは、君たちが未熟だからなんだよ。君たちは、生まれてから、まだ十六年か十七年かしかたっていないじゃあないか。まだまだ君たちは弱く、未熟なんだ。しかし、未熟だということは、これからどんどん色んなものを吸収することができるってことなんだよ。つまり、未熟ってことはしなやかだということなんだ。君たちは、僕なんかよりも、たくさんのものを学び取り、吸収することができるんだ。君たちは、驚くほどたくさんの可能性を持っている。でも、その可能性ってのは、そのままじゃあ表に出てこない。様々なことを学び取り、可能性を表に引き出すことが必要だ。しかし、困ったことに、君たちひとりひとりが持っている可能性がどんなものなのか、誰にも分からない。だからねえ、今井君、新井君、美里さん……」
 文じいは生徒さんたちの目をひとりひとり順に見つめて、少し間を置いてから、続けました。
「君たちは、今というしなやかな時期に、本当にたくさんのことに触れ、たくさんのことを学び取ろうとするべきなのだ。学校の中での勉強はもちろん、学校以外のところでも、興味をひかれて、もっと知りたい、学びたいと思うことがあると思う。そこまで、学び取るんだ。それだけじゃあない。君たちは、学校の中でも外でも、失敗を犯すことがあるだろう。後悔してもしきれない、悔しい思いをすることがあるだろうねえ。その時に、その失敗から、何かしらを学ぶんだ。失敗は、学びの中で、一番大事なものなんだよ。だから、あらゆる場面で、失敗を恐れないこと。そうして、あらゆる場面で、学ぼうとするんだ。勉強とは、本来そういうものだ。そして、学校は君たちの勉強を大いに助けてくれるだろう。だから、君たちは学校に行くべきなんだ!学校に行って、思いきり勉強すべきなんだよ!」
生徒さんたちは、みんなはっとした顔をしています。文じいがこんなにも力強くお話をするのを、三人は初めて聞きました。
「僕、そんなことを考えたことがなかった。ただ、受験のために漠然と勉強していました。」
「私も同じ、先生に言われるから、授業があるから、何も自分で考えないで勉強していたのかもしれないなあ。」
 新井君と美里さんは、おのおの思っていたことを言いましたが、今井君は、まだ何か考え事をしているようです。文じいは、今井君が難しい顔をしていることに気がついていましたが、続けてお話をしました。
 「君たちには少し難しいかもしれないのだけれど、勉強をする意味は、もうひとつあるんだ。それを知るためには、時代の流れを大きな視点で見れなくちゃあいけない。科学の発展や、文学の研究など、僕たちの先の時代を生きていた人たちは、たくさんの学問や文化の成果を、僕たちに残してくれたんだ。例えば、君たちはあたりまえのようにスマートフォンを使っているけれど、スマートフォンの前にはガラパゴス携帯が、その前には固定電話やポケベルがあった。さらに前の時代には、文章ひとつよこすのに人の足を使わなければならなかったんだ。それが、今はメールで一瞬にして文章を送れるし、電話をすれば声だって聞ける。これは、先人がたくさんの努力をしてくれたからなんだよ。そして、また君たちも、この学問や文化を引き継ぎ、維持し、発展をさせて、次の世代まで無事に渡さなきゃあいけない。君たちも、この偉大な時代の流れの一部なんだ。君たちひとりひとりが、社会を支え、社会の一部となるべきだ。だから、君たちは学問や文化を維持し発展させていくために、勉強をしなければならないという使命があるんだ。今、君たちは高校生で、まだ社会の一員であるという自覚は芽生えていないかもしれない。しかし、君たちがもう少し大きくなった時まで、このことを覚えていてほしい。君たちが、立派に働くようになった時に、もう一度、このことについて考えてほしいんだ。」
 「だめだ!今考えなくちゃ、だめなんだ!」
 今井君が、仕切りを外した川の流れのごとく、怒鳴りました。これにはみんな驚きましたが、文じいはとても落ち着いた様子で、今井君のほうを見て、にっこりとほほえみました。
 「君の言うとおりだよ、今井くん。君たちは、今すぐにでも、このことについて考えるべきだ。しかし、君たちの友達の中で、このとこについて考えたことのある者は、ほとんどいないんじゃないかしら。中学を卒業したら、みんな行くからと高校に進学し、高校を卒業したら、漠然と大学に行く。そうして、流されていくだけの人は、自分が社会の一員であり、自分に社会を動かしていく使命があるなんて、まさか思うまい。だけど、本当のところは、君のように、高校生の時からこのことについて考えてほしいんだ。君たちには、重すぎることかもしれないと思って、さっきはああ言ったのだけど、今井君、君は間違っていない。むしろ、君が一番正しいんだよ!そして、ずっとそのことを真剣に考えていれば、きっと、必然的に、何かやりたいことが見つかるだろう。」
 その瞬間、今井君の顔から緊張や不安がさっと引いていったかと思えば、ぽっとかすかに頬が赤らみました。
 知らぬ間に夜が深くなり、生徒さんたちは相模屋の二階の部屋で眠りにつきました。息子さんとお孫さんは、明日の仕込みをしています。さきほどの部屋に残っているのは、文じいと先生だけです。文じいは、大好きな日本酒を先生に出しました。
 「今井君は、父親を早くに亡くしているんです。だから、精神的に大人になるのが早いんだと思うんです。」
 先生は、お酒で少し頬を赤らめつつ、真面目な顔で文じいに打ち明けました。
 「そうかい。まるで、まるで……」
 文じいは、懐かしく思って、先生を見つめました。
 「まるで、君のおじいさんに、そっくりじゃあないか!」
 先生ははっとしました。まさに、コペル君、つまり、本田潤一君は、先生のおじいさんだったのです。そして、文じいは一冊の古びたノートを先生に渡しました。
 「これは、君のおじいさんが持っていたノートブックなんだよ。コペル君が亡くなった時に、僕がもらったんだ。これを、君に託そう。君がもっていたほうが、いいと思うんだ。」
 先生は、何も言葉が出ません。ただ、受け取ったノートブックの表紙をひとなでした後に、そっと表紙を開きました。

 

  僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。

 

 そして、文じいは先生に、一言だけ、言葉をかけたのです。―――

 

  君たちは、どう生きるか。

 

 

 

参考文献
  • 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫, 1982)
  • 梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(岩波現代文庫, 2015)
  • 中内敏夫・竹内常一・中野光・藤岡貞彦『日本教育の戦後史』(三省堂, 1987)
  • 堀尾輝久『教育入門』(岩波書店, 1989)
  • 大田尭『教育とは何かを問いつづけて』(岩波書店, 1983)
  • 大多和直樹『高校生文化の社会学 : 生徒と学校の関係はどう変容したか』(有信堂, 2014

小さな刃

 何かしらをするかしまいかの選択をする際、それぞれの選択肢に対してどのような結果を得るかを事前に知ることは難しい。結果を知ってから、ああしてよかった、こっちにしとけばよかった、などと思うことができる。だから、選択をする際、できるだけ自分の選択に対し悔いが残らない選択肢を選んだほうがいい。

 8月7日、母校の高校を訪問し、進路の手引きという冊子をいただいた。その冊子に卒業生からのメッセージが載っていたのだが、その中のあるひとりの卒業生の文章が私を惹きつけた。その卒業生は、昨年度に東京大学を受験し、残念ながら不合格となり、他の大学に進学した。彼女の書いたメッセージの一部を、ここで引用させていただきたい。

 

私は東京大学を前期試験で受験しました。東大を受験しようと思った一番の理由は、二年生の秋に・・・(中略)・・・東大見学ツアーに参加した時に東大の雰囲気にとても惹かれたからです。もちろん日本一の大学であることや集まっている人のレベルが高いと先輩がおっしゃっていたことも魅力的でした。しかしつらい時やあきらめそうになった時、頑張ろうと思わせてくれたのは、やはりあの素敵な空間で勉強してみたいという思いでした。・・・(中略)・・・私は東京大学に合格することはできませんでしたが、挑戦してよかったと思っています。東大を志望していなければこんな頑張って勉強しなかったし、頑張ったことで、周りの人に支えてもらっていることに気づくことができたり、一緒に勉強を頑張った、大切な友達ができたり、強い精神力が得られたりしました。これは一生に一度しかできない、いい経験だったと思うので、もし行きたい大学があるなら、臆することなく、挑戦してみてほしいと思います。

 

 私はこの文章を読んだとき、思わず涙を流した。彼女は、私が卒業生として参加した東大見学ツアーに参加し、東大受験を決意した。その時の彼女の瞳は確かに、力強く、輝いていた。彼女は、自身の選択を後悔していない。なぜなら、納得して選んだ道だから。彼女は、強い。すごく強い。

 私は、日本の教育に絶望を感じている。受験ばかりに気をとられ、生徒に勉強ばかりの高校生活を送らせることが、教育の本質なのであろうか、という疑問がいつも頭に浮かぶ。もっと大切な何かがあるだろうという思いを胸に抱いているが、現在の制度をすぐに覆すのは難しい。でも、このままではいけない。

 私は、この文章を初めて読んだとき、ただひたすら困惑した。卒業生からのメッセージとして、不合格体験記を載せるなんて、聞いたことがない。しかしかすかに、高揚した。彼女の志は、絶望に包まれた日本の教育界に差し込む、一筋の光に見えたから。雲間から強く差し込み、暗い地を照らす、一筋の光に見えたから。

学校の壁の残骸を拾う

 「新しい学力観」や「生きる力」という言葉が頻繁に聞かれるような時代であるが、教育改革について議論する前に、日本社会における高等学校というものの役割がどのように変容してきたかということを、少し振り返ってみようと思う。

 

 

学校の壁の残骸を拾う

 まず、社会における高等学校の役割の変容がどのように起きたかを把握するために、1980年ごろと2000年ごろの高等学校の状況の違いを列挙する。1980年ごろは、ツッパリと呼ばれるような学校に反発する生徒が多く、制服を着ると学校に縛られているように思えるので、生徒はあまり制服を着たがらなかった。また、学校内は社会から遮蔽された特別な空間であると認識されていて、怖い先生が生徒に規則を守るように厳しく呼びかけるというように、学校の力は強かった。一方、2000年ごろは、ギャルと呼ばれるような学校に反発するというよりも街へと飛び出すような生徒が多く、制服は街に飛び出す際のおしゃれとして楽しまれていた。また、学校は社会と完全に遮蔽されている訳ではなくなり、学校の力は弱くなっていた。

 

 このような学校の変容は、どのような理由で生じたのか。その主な原因として、社会の変化が挙げられる。

 1970年代、日本経済は安定しており、新規学卒を一括採用し終身雇用をするような雇用慣行(日本型雇用慣行)が成立していた。そのような社会の中で、就職の前段階としての高等学校の重要性は高まり、1974年度には高等学校進学率が90%を超え、学歴が将来に大きく影響を及ぼすような社会へと変化した。この時期、ほとんどの高等学校が、生徒を学業成績に基づいて直接的に企業へと振り分ける就職斡旋制度を有していたために、学校の学業成績が直接将来に関係するという状況があり、学校の力は強かった。また、学校は管理教育を推し進め、社会から遮蔽された空間としての学校作りをして、生徒に学校での規則を厳しく守らせつつ教育を行った。これも、学校の力が強かったことの一因である。学校の力が大きく、学校が社会と断絶された遮蔽空間であったため、生徒の中には学校に反発する者もいた。彼らは「学校に縛られている」という感情を抱き、それを脱したいがために、学校に反抗したり、私服で街に飛び出して自由に社会を楽しもうとしたりした。

 1980年から2000年にかけて、社会構造は大きく変化していった。1970年代から1980年代にかけて良好だった経済の状況が、バブル崩壊をきっかけにして悪化し、景気が後退した。その影響で、雇用が減少し、日本型雇用慣習は崩壊し、高等学校の学業成績による生徒の就職斡旋制度を維持することが難しくなっていった。こうして、高等学校に行っても必ず将来が保障される訳ではなくなり、学校の力は弱くなった。また、ちょうどこの時期に、教育界では「自己実現・個性重視」をスローガンとする教育改革が起こった。就職斡旋制度では生徒のやりたいことを無視してしまっていたが、やりたいことをやることが生徒にとっての一番の幸せなのではないか、という意見が多く、進路選択に関して生徒のやりたいことを重視する「生徒支援型」の高等学校が増えた。その中で、自分の進みたい進路を生徒が考えることができるようになるためには、生徒の自己肯定感を育むことや生徒が自分の良さに気づくことが必要であるという考えが生じ、学校に生徒の居場所を作ってあげようという抱擁的な学校方針が掲げられた。このような背景により、制服はもはや管理教育のツールとしては利用されなくなり、むしろ最近はかわいい(かっこいい)制服を売りにして生徒を呼び込もうとする高等学校まで現れた。

 1980年ごろの高等学校の就職斡旋制度は、優秀な人材を毎年一定数得ることができる企業にとっては良い制度であったのかもしれないが、生徒のことを考えるとあまり良い制度ではない。生徒に将来やりたいことがあるのならば、それをやらせてあげたほうが、その生徒は無理をせず楽しみながら生きることができる。ゆえに、生徒の1980年ごろの高等学校の教育より2000年の高等学校の教育のほうが、教育方針的に良い。では、2000年以降現在まで続いている生徒支援型の高等学校教育に問題はないだろうか。私はここで、現行の生徒支援型教育の問題点をいくつか挙げたい。

 

 生徒支援型教育の一番大きな問題点として、自分のやりたいことが見つからない生徒が増加していることが挙げられる。ベネッセ教育総合研究所の第2回子ども生活実態基本調査報告書は、2009年の調査において、高校生男子の54.0%、高校生女子の39.3%が「なりたい職業がない」と回答した、と報告した。同報告書によると、「なりたい職業がない」と回答した生徒の割合は、2004年の調査時より男女それぞれ15%程度増加している。生徒支援型教育の方針が掲げられてから20年程経過した2009年の時点で、生徒支援型教育でもっとも重要な「自分のやりたいこと」というものを、ほぼ半数の生徒は見つけられていない。これは、生徒支援型教育の「自己実現」というスローガンをあまり達成できていないということではないか。

 確かに、生徒が自分のやりたいことを見つけるのは、難しいことである。将来の自分を想像することは難しいし、将来やりたいことなんて大学に行ってから決めればいいや、という思いで4年制大学に進学する生徒もいるだろう(同報告書によると、2009年調査時において「なりたい職業がない」と答えた高校生のうち、73.1%が「4年制大学または大学院への進学を希望する」と回答している)。しかも、進路指導において、教師が無理やり生徒に結論を出させるわけにはいかない。生徒自身が自分について、自分の将来について考えなければならない。教師ができることは、生徒が自分自身について知るきっかけを作ってあげることや、たくさんの進路の選択肢を示してあげること、教師自身も含めた様々な人の進路選択の実例を話して聞かせてあげることなどである。どれも、生徒の進路決定に直結することではないが、重要なことである。現状、このような進路指導は、きちんとなされているだろうか。

 私が高校生だったのはもう3年も前のことであるが、私の出身高校では、総合的な学習の時間の中で進路について考えるような時間をとっていた。しかし、私を含むほとんどの生徒が、きちんと進路について考えないまま、大学受験を勧められ、大学受験をした。これは、生徒支援型の進路指導と言えるだろうか。現在の進路指導の傾向として、4年制大学の受験を重視する傾向があると、私は感じている。文部科学省の平成26年度学校基本調査(確定値)によると、平成26年度高等学校卒業者の大学進学率は53.8%である。この値は年々増加している。また、ほとんどの生徒が大学に進学するような、いわゆる進学校が日本にはたくさん存在する。進学校の生徒は、自分の意思をもって大学に行きたい、大学に行って何かをしたいと考えているのだろうか。進学校の教師は、大学進学をどうして勧めるのかを生徒に話しているのだろうか。彼らは、私が先ほど述べたような生徒支援型の進路指導を行っているのだろうか。私は、懐疑せざるを得ない。
就職斡旋制度によって生徒の個性や進路選択の自由が失われることを避けるために生徒支援型の教育に移行しようという目標を立てたにもかかわらず、蓋を開けてみれば、就職斡旋が受験競争にすり替わっただけで、現在も生徒支援型の教育はほとんど実現されていないのではないか、と私は考える。大学に進学するのが当たり前だから大学に進学しよう、将来やりたいことが見つからないけど大学で考えればいいや、というのは、進路選択の先延ばしでしかないのではないか。生徒支援型の高等学校の実現は、大学受験という思わぬ障害物によって行く手を阻まれているのが現状である。

 

 生徒支援型教育のもうひとつの問題点として、学校で勉強をする意味は何か、という問題が挙げられる。生徒がもし、高等学校で勉強することにまったく関係のないことに興味を持っていて、その道に進みたいと考えていたとすると、その生徒にとって、高等学校で勉強をする意味はあるのだろうか。
 日本テレビが制作したドラマ「女王の教室」にて、小学校教師の阿久津真矢は、担任をしているクラスの児童たちに、勉強する意味を説く場面がある。真矢のクラスの児童が真矢に次のような質問をする。
 「どうして勉強するんですか、私達。この前先生は言いましたよね。いくら勉強して、いい大学やいい会社に入ったって、そんなの何の意味もないって。じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」
 その質問に対して、真矢は次のように答える。
 「いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?勉強は、しなきゃいけないものではありません。したい、と思うものです。これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから、人間なんです。好奇心や、探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。自分達の生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何が出来ると言うんですか?いくら勉強したって、生きている限り、分からないことはいっぱいあります。世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、あんなもの嘘っぱちです。いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えば、いくらでも出来るんです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。勉強は、受験の為にするのではありません。立派な大人になる為にするんです。」

 例えば、あるスポーツが大好きで将来そのスポーツの道に進もうと心を決めている子も、高等学校の必履修科目として世界史や数学を学ばなければならないが、その勉強の意味はあまりないのではないか、と正直私は以前まで感じてしまっていた。生徒支援型教育を推し進めていく中で、生徒がやりたいことを見つけてくれるのは喜ばしいことだが、その生徒が将来やりたいことに、学校での勉強が役に立つとは限らない。では、なぜ学校では主要五科目と呼ばれる科目群が教えられるのだろうか。なぜ、生徒はこのような科目群を勉強しなければならないのだろうか。
この問いには、いくつも答えが存在するのであろう。女王の教室での真矢の発言も、この問いの答えのひとつである。私も、この問いを高校の頃からずっと自分なりに考えていて、最近ようやくひとつの答えにたどり着いた。その答えとは、次のようなものである。

 まず、高等学校の勉強のコンテンツ自体には、あまり意味はない。つまり、古典や物理の内容を学んでも、ほとんどの人は学んだきりで、研究者にならない限り、将来どこかでその内容が役に立つことはほとんどない。重要なのは、もっとメタレベルな、すべての科目に共通している「勉強するという方法」であると、私は思う。どの科目でも、問題が出題されて、その問題が解けなかったら、解けない原因がある。その解けない原因を突き止め、それを改善することで、次に同じような問題が出題された時には、きちんと解くことができるようにする。それが勉強というものであり、どの科目でもそれは共通である。このように、メタレベルで見ると、勉強とは問題解決の繰り返しのことではないか、と私は思う。つまり、古典や物理を勉強することは、問題解決能力をつけることに役立っている。そして、問題解決能力は、高等学校を卒業して、様々な局面で何かしらの問題が発生した時に役に立つ。だから、高等学校では、主要五科目を勉強するのではないか。

 私の見出した答えも、真矢が見出した答えも、どれも正解でいい。ここで重要なことは、生徒支援型教育を推し進めると「勉強ってなんのためにするの?」という疑問を抱く生徒が増えること、そして、そのような生徒が、その答えを自分で見出そうとすることである。もし、学校の勉強に意味がないと生徒が判断したならば、それでもいいじゃないと私は思う。生徒が将来や現状について必死に考えて出した結論ならば、それもひとつの答えなのだろう。とにもかくにも、生徒が自らの現状や将来について真剣に考え始めた時、生徒支援型教育の歯車は回り始める。

 

 生徒支援型教育には、以上のふたつの問題点がある。先述の問題点によって、そもそも現在日本の高等学校で生徒支援型教育を実現しようとしている学校は少ないのではないか、そして、後述の問題点によって、実際に生徒支援型教育を実現しようとすると、勉強をする意味という難しい問題に衝突するのではないか、ということを私は考察した。上で述べたふたつの問題点を解決することは容易ではないが、必ず解決できるものであるし、解決すべきものだ、と私は思う。(これらの問題点を解決するためには、大学を卒業してから就職をするという現在一般的な雇用制度の廃止や、学習指導要綱の変更、体験型・横断型カリキュラムの導入など、大きな教育改革が必要である。)

 

 特殊空間として遮蔽されていた高等学校の壁は、いまや崩れ去った。就職斡旋の壁の抑圧から、高等学校は解き放たれた。しかし、現在、その壁の残骸が、日本の高等学校を覆っている。就職斡旋の亡霊としての大学受験が、高等学校の周りには立ちはだかっている。その残骸を拾い集めることは、これからの教育を担う私たちの役目である。

 

参考文献

人生最良アルゴリズム

 以下の問題文を読み、問いを考えてみてください。皆さんは、どのような答えを考え出すでしょうか?

 ちなみに、背景として、コンパイラインタプリタを作るときに用いるような、プログラミングの変数環境を想像しました。もちろん、プログラミングをまったく知らない方でも、理解をすることができる内容になっています。

 

 

人生最良アルゴリズム

 以下の5つの事柄を仮定する。ここで、カギ括弧に囲まれている単語は、辞書でなされる定義と異なるような定義をして使用されているので、留意をしていただきたい。

 

  1.  「行為」とは、主体が、ある意思をもってする行いのことである。「行為」から有限時間が経過すると、その「行為」をした主体はその「行為」の「結果」を知る。
  2. 「知識」とは、主体が、ある時点までに知った内容の集合のことである。「知識」のすべての要素は、時間の経過により失われることがない。
  3.  「価値観」とは、任意の自らの「行為」の「結果」に対し、その「行為」が「成功」であったか「失敗」であったかを、自らの「知識」に基づいて出力するような、主体に固有の関数である。「価値観」は時間の経過により変化することがない。
  4. 「知識」と「価値観」をもつ主体は、「行為」をする前に、自らの「知識」に基づいて、その「行為」の「結果」が「成功」となるか「失敗」となるかを予測することができる場合がある。
  5.  「人間」とは、「知識」と「価値観」をもち、「行為」をすることができる主体のことである。「人間」の「知識」の初期値は、空集合である。

 

 これらの仮定のもとで、「人間」について、以下のようなアルゴリズムを考える。このアルゴリズムを「人生最良アルゴリズム」と名づける。

 

  1. 「行為」の「結果」を知り、自らの「価値観」に基づいて、その「結果」が「成功」であったか「失敗」であったかを判断した後、この「一連の流れ」(「行為」、「結果」、「成功」または「失敗」という3つの値の組)を、「知識」の要素にする。
  2. 「行為」をする前に、自らの「知識」を検索して、今しようとしている「行為」と同様の「行為」に関する「一連の流れ」がひとつ以上存在した場合、その「行為」が過去に「成功」したならばその「行為」を実行し、その「行為」が過去にN回以上「失敗」したならばその「行為」を実行するのをやめることにする。ただし、Nは0以外の自然数であるとする。今しようとしている「行為」と同様の「行為」に関する「一連の流れ」が存在しない場合、その「行為」を実行することにする。

 

 以下の問いに答えよ。ただし、Nにはあなたの好きな0以外の自然数を当てはめ、以下の問いに答える際には、あなたが選んだNの値を用いよ。

 

問1. 「人生最良アルゴリズム」を加算無限回繰り返した「人間」には、どのような特徴が現れると期待できるか。500字以内で論述せよ。

問2. 「人生最良アルゴリズム」を加算無限回繰り返した「人間」は、問1で見たような特徴を持つはずであるが、現実に存在する人間は、年齢が上昇したとしてもそのような特徴をもたないことがある。現実に存在する、そのような特徴をもたない人間の例を、ふたつ挙げよ。1000字以内で述べよ。

問3. 一般的に、「人生最良アルゴリズム」を一生実行し続けても、現実に存在するすべての人間が、問1で見たような特徴をもつようになる訳ではない。その原因は、人生が有限時間であること以外にも存在する。「人生最良アルゴリズム」が現実に即さない原因を、人生が有限時間であること以外に、できるだけ挙げよ。その際、仮定の不適切さについても言及してよい。さらに、「人生最良アルゴリズム」を、現実に即する形で、実現させる(問1で述べた特徴を「人間」にもたせる)ためには、仮定やアルゴリズムをどのように改善すればよいか。30000字以内で述べよ。