「他人からの評価」と「報われない努力」

「合格鉛筆」見たことありますか?

 

 私は小学生のときにそろばんを習い始めたのですが、検定試験に合格して昇級・昇段する度に、珠算教室の先生から合格鉛筆を1本だけもらっていました。合格鉛筆をもらえた瞬間は、それはそれは嬉しくて、これからもっと頑張ろうと思えたものです。

 13年後、私は先生として生徒に教える立場になりました。そこで、ふと考えた話。評価ってなんでしょうっていう話。

 

 小学校の通知表における「たいへんよくできました」や「もうすこしです」などといった評価は、どのような基準によってつけられているのでしょうか。文部科学省が定めた現行の学習指導要綱からは、学習によって理解や能力を身につけた児童はもちろん評価するのですが、学習に興味や関心を示し熱心に取り組んだ児童を高く評価しよう、という姿勢を読み取ることができます。簡単に言えば、テストができなくても頑張っている児童にはたいへんよくできましたを与える、というような評価基準によって、小学校の通知表はつけられているということです。

 高等学校の評価はどうでしょうか。多くの高等学校では五段階評価が用いられています。そして、小学校の評定とは大きく異なり、意欲よりも試験の点数が重視されます。

 大学はどうでしょう。講師によって評価方法は異なりますが、試験を行う、レポートを出題する、出席をとるなど、様々です。また、進級・卒業するためには、大学の指定する条件を満たす必要があり、大体の場合は必修科目と呼ばれる科目の単位を取得するという条件が含まれています。

 一方で、高校受験や大学受験を考えてみると、ほとんどの場合は学力試験のみで合否が決定されます。中学受験もその例外ではありません。

 

 ここまで見てきて、思うことがあります。学校という場所において、評価ってどんな役割を担っているのでしょう。教育学のお偉いさん方によると、評価をつけることには様々な効果があるらしいです。私はそのような深遠な考察をすることはできませんが、評価をつけることによって、児童・生徒・学生にやる気(あるいはやらなきゃいけないなという焦りの気持ち)が生じて、学習を促すということだけは、理解できます。珠算教室で合格鉛筆を先生から受け取ったときに感じた胸の高鳴りを、私は今でも覚えています。合格鉛筆をもらう度に、次も頑張ろうと思うことができました。

 評価方法については、もっとも学生のやる気をあげるような方法が望ましいです。みなさんは、先に紹介した現行の評価方法について、どう思われるでしょうか?ここでは、評価方法の良し悪しについては言及しません。ですが、これらの評価方法について色々と考えさせられることもあるので、それについてはおいおいお話するとしましょう。とにかくここで大事なことは、高い評価を得ることは嬉しいという刷り込みを学校教育の場で行うことで、学習意欲を向上させているという事実です。それは絶対評価でも相対評価でもほとんど等しく効果的な方法だと、私は思います。とにかく高い評価を得ると嬉しくて、高い評価を得るために頑張る。その嬉しさの波に乗ることができた人はぐんぐん成績が上がっていくでしょう。ですが、その波に乗れなかった人はどうなるのでしょうか。高学歴な方々は、そんなやつらに興味はないっていう感じですか?

 

 話変わりまして、最近よく、就職活動がつらいというような発言をしている人を見かけます。少し気になったので「就活 つらい」で検索して、就職活動中の方々の書き込みを見てみました。その中で多かった意見が、就活は自分の努力を否定されるのでつらい、というものでした。頑張って書いたエントリーシートを提出しても、何度も練習してから面接に臨んでも、不採用になることがある。面接で、自分の過去の努力を否定される。それがつらいというのです。

 就職活動以外にも、社会に出て生きていく上で、他人に自分の努力を認め評価してもらわないといけない機会はかなり多いと思います。それは、学校で高い評定を求め勉強していたことや、受験で合格をするために勉強していたことと似ています。ですが、学校や受験で結果を出すことは、社会の中の様々な局面で他人から高い評価を得るよりも、よほどたやすいことだったのではないでしょうか。なぜなら、学校では、与えられた勉強をこなすだけで高い評価を得ることができたからです。しかし、就職活動においては、こつこつ努力しても不採用になることも多いでしょう。「なんでなんだ、努力したのに。」そのような考え方をする人が多いのかもしれません。

 

 ―――ちょっと待ってください。みなさん、就職活動も学校での勉強も、何のためにやっているんですか?人生、何のために生きてるんですか?他人から高い評価を得るためだけに生きてるんです?

 

 他人から評価してもらうことは嬉しいことです。合格鉛筆をもらった時、とても嬉しかった。しかし、他人から評価されることだけを目指してはいけないと私は思います。「一番大事なことは、自分で自分の目標を設定し、それを目指して自分ができる最大の努力することだ。その目標を達成するために自分がやるべきだと感じることを、やりなさい。」と、私は私の教え子たちにいつも言っています。その心は何かというと、就職活動を含む社会の中の様々な局面で、他人に努力が認められなかっただけで「つらい、もうやめたい。」とは思わないでほしいという願いを含んでいます。自分の目標を設定して、それに向かって自分の最大の努力をすることができたならば、結果は関係ありません。それでもし失敗してもいいじゃないですか。努力しても無理だったんだから、しょうがないじゃないですか。自分の納得できる努力をしたんだから、他人には評価されなかったとしてもいいじゃないですか。自分で自分の努力に納得する限り、その人は自らの人生に対して後悔をしないはずです。他人から高い評価を得られなかったとしても、つらいという感情を抱くことはないはずです。

 みなさんは、人生、何のために生きているのでしょうか。私は私のために生きたいと思っています。私は私の納得する人生を歩みたい。そのために必要なことはただひとつ。自分がやるべきだと思うことをやること。他人の評価は時に厳しいものかもしれませんが、自分の行為に納得し続ける限り、その人は持続的に努力することができます。厳しい評価を何度ももらっても、そこでへこたれることはありません。

 

 私は今も合格鉛筆を部屋の隅に飾っています。かつて検定試験に合格した時にいただいたこの鉛筆を、私はもうもらうことはありません。合格鉛筆を見る度に、なんでこんなちっぽけな鉛筆をもらうだけで嬉しかったのかなぁと、子供だった自分をからかうように思い出すわけですが、やはり今でも合格鉛筆をいただいた時の胸の高鳴りを感じるのです。その懐かしい胸の高鳴りを、狭い都会の部屋の一隅で感じつつ、合格鉛筆を受け取った直後に決まってそろばん教室の先生がおっしゃっていた言葉を思い出します。

 

 「次の目標は何にすんべ?」